64話
翌朝、リルドは窓の外で楽しげに飛び跳ねる野ウサギを眺めながら、「今日は少し、土の匂いを確認しに行こうかな」と独り言を漏らし、いつものようにギルドへと向かった。
ギルド内は、昨日峠から戻ってきたBランクパーティーが「あんなに綺麗な道、人の手で作れるはずがない!」と熱弁を振るっており、相変わらずの賑やかさだった。リルドはそんな喧騒に混ざることなく、掲示板の端っこに並んでいた二枚の依頼札を静かに剥がした。
「おはよう、受付さん。今日はこの二つをお願いするよ」
「おはようございます、リルドさん。はい、『薬草採取』と『付近の調査』ですね。調査場所は少し奥まった谷間ですから、足元に気をつけてくださいね」
「うん、ありがとう。お散歩がてら、ゆっくり見てくるよ」
リルドはまず、街道沿いの茂みで瑞々しい薬草を丁寧に摘み取った。彼の手が触れると、薬草は本来持っている治癒の力を最大限に引き出され、籠の中で淡い光を放っているようにも見える。
その後、指定された調査場所である谷間へと向かった。
「さて、ここが調査地点だね……」
リルドは立ち止まり、そっと地面に手を触れた。彼が「聴覚向上」の感覚を地面に沈めると、大地の震えから、そこが単なる崩落ではなく、地下を流れる水脈が少し形を変えただけだと理解した。
「うん、特に危ない魔獣の気配もない。ただ、土が少し喉を乾かしていただけだね」
リルドは調査記録を紙に書き留めると、満足げに立ち上がった。
調査を終えて帰り道を歩いていると、岩場の方から激しい金属音と怒鳴り声が聞こえてきた。
覗いてみると、Cランクの冒険者パーティーが、不運にも群れからはぐれた獰猛な魔獣に囲まれ、苦戦を強いられていた。
「くそっ、回復薬がもう切れた!」「持ちこたえろ、なんとか逃げるんだ!」
彼らは傷を負い、疲労困憊の様子だった。
リルドは関わり合いを避けるように背を向けようとしたが、ふと足を止め、自分の籠の中を見た。
(……あんなにボロボロじゃ、街まで保たないかもしれないね)
リルドは姿を見せないよう、気配を完全に消して彼らのすぐ近くまで移動した。そして、岩陰に今摘んだばかりの最高品質の薬草を数本、そっと置いてその場を離れた。
「……ん? なんだ、この草。……おい、これ、ただの薬草じゃないぞ! 触れるだけで傷が塞がっていく……!」
驚愕する冒険者たちの声を背中で聞きながら、リルドは「お大事に」と小さく呟き、鼻歌を歌いながら街へと戻っていった。
夕刻、リルドはギルドに戻り、報告を済ませた。
「ただいま、受付さん。調査は完了したよ。特に異常はなかった。薬草は……あ、途中で少し落としちゃったから、残りの分だけ納品するね」
「おかえりなさい! 調査報告、承りました。……あ、あれ? リルドさん、さっきのCランクパーティーが血相を変えて戻ってきて、『道端に神の薬草が落ちていた!』って大騒ぎしてますよ。何か知りませんか?」
「神の薬草? ……あはは、きっと森の精霊さんが、うっかり落とし物をしちゃったんじゃないかな。僕はただ、お散歩をしていただけだよ」
リルドはとぼけた顔で報酬の銅貨を受け取ると、家路についた。
「さて、僕も今夜は、残った薬草を少しだけ煎じて、のんびりお茶でも楽しもうかな」
万年Fランク冒険者の日常は、今日も誰にも知られることのない小さな慈愛を残して、穏やかに更けていく。




