63話
翌朝、リルドは庭先に飛んできた一羽の渡り鳥が「北の峠が騒がしいよ」と囀るのを聞き、少しだけ考え込んだ。
「騒がしいのは苦手だけど、放っておくのも寝覚めが悪いかな」
ギルドへ向かうと、掲示板の前はいつになく殺気立っていた。どうやら北の峠付近で強力な魔獣の気配が観測されたらしく、高ランクの冒険者たちが装備を整え、我先にと高額依頼を奪い合っている。
リルドはその横をすり抜け、掲示板の下の方で丸まっていた、少し湿った依頼札を拾い上げた。
「今日はこれにしよう。お散歩のついでに、掃除も必要そうだ」
彼が選んだのは、『峠道の倒木撤去と石拾い』。
「主」が現れると騒がれている峠へ、わざわざ掃除に行く物好きはリルド以外にいなかった。
「おはよう、受付さん。今日は峠を綺麗にしてくるよ」
「おはようございます、リルドさん。……えっ! 今から峠に行くんですか!? あそこ、今は危険だって噂ですよ! せめて他の冒険者が戻ってきてからに……」
「大丈夫、一番安全な道を知っているから」
リルドが峠に差し掛かると、そこには倒木が道を塞ぎ、大きな岩が崩れ落ちていた。
その奥の洞窟からは、地響きのような唸り声が聞こえてくる。高ランク冒険者たちが恐れていた「魔獣の咆哮」だ。
しかし、リルドは怖がる様子もなく、その洞窟の前まで歩いていった。
「やあ、こんにちは。そんなに大きな声を出して、どうしたんだい?」
暗闇から現れたのは、巨大な『岩甲熊』だった。しかし、その目には凶暴な光はなく、ただ苦しそうに喉を震わせている。
リルドが「視野拡大」で見通すと、熊の足の裏に、鋭く尖った「魔力を帯びた鉱石」が深く突き刺さっていた。
「ああ、痛かったね。今抜いてあげるよ」
リルドは熊の巨体をそっと撫でると、その瞬間に時が止まったかのように熊の動きが封じられた。リルドが指先で鉱石を「スッ」と引き抜くと、傷口に浄化の魔力を流し込み、一瞬で完治させた。
「さあ、もう大丈夫。これからは足元に気をつけてね」
熊は感謝を伝えるようにリルドの顔を一度舐めると、満足げに森の奥へと去っていった。その後、リルドは鼻歌を歌いながら、道を塞いでいた倒木を指一本で軽々と脇へ寄せ、石を拾い集めて道を整えた。
整備を終えた帰り道、リルドは完全武装で峠へ向かうBランクパーティーとすれ違った。
「おい、Fランク! 今からあそこに行くのは自殺志願者か? 命が惜しければ引き返せ!」
「あはは、忠告ありがとう。でも、峠はとっても静かだったよ。道も綺麗になってるから、歩きやすいと思うよ」
リルドがすれ違いざまにそう告げると、冒険者たちは「何を馬鹿な……」と鼻で笑いながら先を急いだ。彼らが後に、魔獣の気配が消え失せ、まるで王宮の庭園のように整えられた峠道を見て腰を抜かすことになるとは、リルドは微塵も思っていなかった。
夕刻、リルドはいつも通り、少し眠たそうな顔で受付の前に立った。
「ただいま、受付さん。峠の道、歩きやすくしておいたよ」
「おかえりなさい、リルドさん! 無事でよかった……。あ、そういえばさっき、峠に向かったパーティーから緊急連絡が来たんです。『魔獣が消え、道が奇跡のように整備されている。伝説の聖者が現れたに違いない!』って、ギルドマスターが調査に飛び出していきましたよ」
「聖者? ……ははは、きっと風が強く吹いて、ゴミを飛ばしてくれたんだね。僕はただ、お散歩をしていただけだよ」
リルドはとぼけた顔で報酬の銅貨を受け取ると、家路についた。
「さて、僕も今夜は、あのお利口な熊さんが教えてくれたハチミツを使って、甘いパンでも焼こうかな」
万年Fランク冒険者の日常は、今日も誰にも気づかれない「世界の修繕」を終えて、穏やかに更けていく。




