48話
翌朝、リルドは窓辺で日向ぼっこをしている猫に「今日は少しだけ、真面目に動くことになるかもね」と微笑みかけ、いつものようにギルドへと向かった。
喧騒に包まれるギルドの中で、彼は最も馴染みのある『薬草採取』の依頼札を手に取った。一番静かに、一番自分らしくいられる仕事だ。
「おはよう、受付さん。今日もこの薬草を摘んでくるよ」
「おはようございます、リルドさん。はい、受理しました。最近、森の奥で少し強い魔獣の足跡が見つかっているみたいなので、あまり深追いはしないでくださいね」
「うん、ありがとう。気をつけるよ」
リルドはいつものように、風のささやきを聞きながら草原で薬草を摘んでいた。彼が触れるだけで、薬草は本来の生命力を取り戻し、最高の状態で籠に収まっていく。
「よし、これで今日の分は終わりだね」
籠を背負い、のんびりと街への帰り道を歩いていたリルドだったが、林の向こうから激しい金属音と、荒い息遣いが聞こえてきた。
「……ッ、こいつ、なんて硬さだ! 剣が通らねえ!」
そこでは、Dランクの冒険者が、全身を岩のような甲殻で覆った魔獣を前に、膝をつきそうになっていた。魔獣がトドメの一撃を加えようと、その巨大な鉤爪を振りかざす。
リルドは最初、関わらないように背を向けて通り過ぎようとした。
しかし、冒険者の「お、おい……助けてくれ……」という震える声が背中に届く。
「……はぁ。仕方ないなぁ」
リルドはボソリと独り言を漏らすと、腰のポーチから、手入れだけは完璧にされた「使い古した短剣」を抜き取った。
次の瞬間、リルドの姿がその場からかき消えた。
「――っ!?」
冒険者が瞬きをする間もなかった。
気づいた時には、リルドは魔獣の背後に回り込み、その巨体の頭上に音もなく舞っていた。
銀光が一閃。
リルドは、魔獣の最も硬い甲殻のわずかな隙間――眉間の急所一点に、正確に短剣を突き立てた。
「ガ、ア……ッ」
魔獣は咆哮を上げる暇もなく、その巨体を震わせて崩れ落ちた。リルドは着地と同時に短剣を鞘に収め、再び背を向けて歩き出した。
「今のうちに街へ帰りなよ。傷が深いなら、ギルドのポーションを頼るんだね」
「あ……あ……」
呆然と立ち尽くす冒険者を置き去りにして、リルドは再び「ただのFランク」の気配を纏い、夕焼けの街道へと消えていった。
夕刻、リルドはいつも通り、少し眠たそうな顔でギルドの窓口に立った。
「ただいま、受付さん。薬草、持ってきたよ」
「おかえりなさい、リルドさん! お疲れ様です。……あ、そういえば! さっきDランクの方が真っ青な顔で帰ってきて、『死神のような速さで魔獣を仕留めた男がいた』って騒いでましたよ。リルドさんは何か見ませんでしたか?」
「死神? ……ははは、怖いね。僕は道端に咲いた珍しい花を見てたから、何も気づかなかったよ」
リルドはとぼけた顔で報酬の銅貨を受け取ると、軽く手を振ってギルドを出た。
「さて、僕も今夜は、短剣の手入れでもしてゆっくり休もうかな」
万年Fランク冒険者の日常は、今日も誰にも知られることのない神速の一撃を秘めたまま、穏やかに更けていく。




