37話
翌朝、リルドは庭に咲いたハーブを少し摘んでポケットに入れ、軽やかな足取りでギルドへ向かった。
ギルド内では、昨日「川の精霊」に助けられたという冒険者たちが、身振り手振りでその奇跡を語り合っていたが、リルドはいつものようにその輪の横を通り過ぎ、掲示板の前に立った。
「今日は……これがいいかな」
彼が選んだのは、『古井戸の清掃と点検』という、これまた地味で手間のかかる依頼だった。
「おはよう、受付さん。今日はこの井戸の掃除に行ってくるよ」
「おはようございます、リルドさん。……あ、その井戸、街の外れにある古いもので、中がかなり汚れているみたいですけど大丈夫ですか?」
「うん、水が綺麗になれば、近くの野鳥たちも喜ぶと思ってね」
リルドは笑顔で手続きを済ませると、愛用の縄と掃除道具を持って街の外れへと向かった。
現場の古井戸は、長年放置されていたせいで泥や落ち葉が溜まり、どんよりとした空気が漂っていた。リルドは井戸の縁に腰掛けると、ふう、と小さく息をつく。
「よし、綺麗にしようか」
リルドが井戸の中に手をかざし、微かな魔力を通すと、濁っていた水が渦を巻き、汚れだけを分離して外へと排出していく。仕上げに、彼がかつて培った「浄化」のイメージを添えると、水底からこんこんと清らかな水が湧き出し、井戸全体が透き通った藍色に輝き始めた。
「うん、これで美味しく飲めるね」
作業を終えたリルドが、満足げに井戸の周りの草を刈り整えていた、その時だった。
「……助けて! 誰か!」
少し離れた林の中から、切羽詰まった叫び声が聞こえた。リルドがそちらを向くと、Cランクの魔術師の少女が、巨大な**『フォレスト・スコーピオン』**に追い詰められていた。
少女は魔力が底を突いたのか、杖を握る手が震えている。巨大な蠍の毒針が、今まさに彼女を貫こうとした。
「あーあ。そんな大きな針を振り回したら、危ないじゃないか」
リルドは困ったように眉を下げると、足元から小さな、平たい小石を一つ拾い上げた。
そして、蠍が尾を突き出した瞬間、指先でその小石を「ピンッ」と弾いた。
シュンッ――。
小石は空気を切り裂き、蠍の尾の付け根、甲殻のわずかな継ぎ目を正確に撃ち抜いた。
「ギチッ!?」
強烈な衝撃に、蠍の体は一回転してひっくり返り、そのまま気絶して動かなくなった。
「あ、今のうちに。大丈夫かい?」
リルドは呆然としている少女に、ポケットから出したハーブを差し出した。
「これを噛むと、少しは魔力の回復が早まるよ。気をつけて帰りなね」
少女が何か言いかける前に、リルドは「お掃除の道具が重いから、先に行くよ」と、ひらひらと手を振ってその場を去った。
夕刻、リルドはギルドに戻り、完了の報告をした。
「ただいま、受付さん。井戸、ピカピカにしてきたよ。水も冷たくて美味しかった」
「おかえりなさい! ……えっ、あの泥だらけだった井戸がそんなに早く? さすがリルドさんですね。あ、そういえば! さっきCランクの魔術師の子が、『空飛ぶ小石が魔獣を倒して、聖者がハーブをくれた!』って顔を真っ赤にして探してましたよ?」
「聖者? ……ははは、僕はただの掃除夫だよ。きっと、その子の運が良かったんだね」
リルドはとぼけた様子で報酬を受け取ると、夕食の買い出しを思い出しながらギルドを後にした。




