35話
翌朝、リルドは窓辺で咲き始めた名もなき花に水をやり、いつものようにのんびりとギルドの扉をくぐった。
昨日の「レッドブルリアが自爆した(と思われている)」事件の話題で持ちきりの館内だったが、リルドはそんな喧騒には目もくれず、掲示板のいつもの隅っこへと足を向けた。
「今日は……うん、これとこれにしようかな」
彼が指先で剥がしたのは、『薬草採取』と、その薬草を使った『ポーション作成』の二枚の依頼札だった。セットで受ければ効率がいいし、何より静かに作業ができる。
リルドはそれを持って受付へと向かった。
「おはよう、受付さん。今日はこの二つをお願いするよ」
「おはようございます、リルドさん。……あ、採取と作成のセットですね。リルドさんが作るポーションは『安いくせに驚くほど効く』って、こっそり評判なんですよ。いってらっしゃい」
受付嬢に笑顔でスタンプを押してもらい、リルドは鼻歌を歌いながら街を出た。
リルドが向かったのは、以前見つけた魔力の溜まり場に近い、秘密の群生地だ。
そこには、朝露を浴びてキラキラと輝く薬草が至る所に生えていた。
「よしよし、今日も元気だね」
リルドはかつて極めた採取スキルの知識を使い、土の栄養を損なわないよう一本一本、丁寧に摘み取っていく。彼の手が触れるだけで、薬草はその生命力をさらに増したように、瑞々しい香りを放ち始めた。
採取を終えると、リルドは近くの平らな岩場に腰を下ろした。
普通、ポーション作りには大掛かりな設備が必要だが、リルドは小さな乳鉢と水魔法、そして自身の微かな魔力を通すだけで、不純物を完璧に排除していく。
「さて……まずは抽出して……」
指先から伝わる魔力が、薬草のエキスを最適な状態で定着させていく。
傍から見ればただのFランクが適当に混ぜているようにしか見えないが、出来上がった液体は、市販の高級ポーションすら凌駕する、透き通ったエメラルドグリーンの輝きを放っていた。
「うん、いい出来だ。これなら喜んでもらえるかな」
作業を終えたリルドが、瓶を籠に詰めて立ち上がったその時。
背後の森から、複数の荒い息遣いと、地響きのような足音が近づいてきた。
「はぁ、はぁ……ッ! もうダメだ、追いつかれる……!」
飛び出してきたのは、全身を返り血で汚したCランク冒険者のパーティーだった。その後ろからは、怒り狂った大型の魔獣『アーマードベア』が、木々をなぎ倒しながら迫っている。
「うわああ! 誰か、誰か助けてくれ!」
先頭を走っていた剣士の青年が、足をもつれさせてリルドの目の前で転倒した。絶体絶命。背後の魔獣が、巨大な爪を振りかぶる。
「……あーあ。そんなところで暴れたら、せっかくの薬草が台無しになっちゃうな」
リルドは困ったように眉を下げると、足元から小さな、平べったい小石を一つ拾い上げた。
そして、魔獣が咆哮を上げ、爪を振り下ろそうとした一瞬の隙に、指先でその小石を「ピンッ」と弾いた。
シュンッ――。
小石は目にも止らぬ速さで飛び、アーマードベアの唯一の弱点である、装甲の隙間にある「鼻先」を正確に叩いた。
「グハッ!?」
鼻先に強烈な衝撃を受けた巨熊は、脳を激しく揺さぶられ、まるで糸が切れた人形のようにその場にどさりと倒れ込んだ。死んではいないが、あと半日は起き上がれないほどの深い気絶だ。
「あ、今のうちに。君たち、怪我があるならこれ使いなよ。一本、おまけだよ」
呆然と立ち尽くす冒険者たちに、リルドは今作ったばかりのポーションを一瓶手渡すと、気配を消してそのまま街道へと戻っていった。
夕方、リルドはギルドに戻り、窓口に薬草とポーションを並べた。
「ただいま、受付さん。依頼の品だよ。ポーションもばっちり仕上がった」
「おかえりなさい! ……えっ、このポーション、色がすごく綺麗! これ、本当に(小)ポーションですか? あ、そういえばリルドさん、森でアーマードベアに遭遇しませんでした? さっきCランクの方が『神の礫が降ってきて熊が気絶した!』って震えながら帰ってきたんですけど……」
「アーマードベア? ……うーん、大きな影は見た気がするけど。お昼寝してたみたいだよ。それより、今日の夕焼けは本当に綺麗だね」
リルドはとぼけた様子で報酬の銅貨を受け取ると、満足げに微笑んだ。
「はい、これが報酬です。リルドさん、本当に不思議な人ですね……」
「あはは、ただのFランクだよ。じゃあ、また明日」
万年Fランク冒険者の日常は、今日も誰にも知られることのない神業を添えて、穏やかに更けていく。




