第345話
夕食を終え、温かいハーブティーで一息ついたリルドは、心地よい眠気に誘われました。
「ふあぁ……。今日はいい一日だったね、ラッファード」
リルドは腰から相棒を引き抜くと、いつものようにベッドのすぐ脇、手が届く場所にそっと立てかけました。
『ふむ。お主の寝相で蹴り飛ばされぬ位置なら、どこでも構わんぞ。……しかしリルドよ、あのマンゴーカレーは我の核にまで響く香りであった。次は隠し味に、あの薬草園で見つけた「翠銀の蛾」の鱗粉を一振りしてみるのも……』
「あはは、ラッファードは食いしん坊だなぁ。……おやすみ、また明日ね」
リルドはパチンと指を鳴らして明かりを消すと、吸い込まれるように布団の中へ。最強の魔力を完全にオフにした、無防備で幸せな寝息がすぐに部屋を満たしました。
夜中、静まり返った部屋で、不思議なことが起こりました。
カタッ、と小さな音がして、ベッド脇に立てかけられていたラッファードが、独りでに動き出したのです。
『……ふむ。やはりこの位置では、窓から差し込む月光の角度が甘いな。我の魔力を研ぎ澄ますには、あっちの「七色苔」の隣がベストか……』
意思を持つ魔剣は、まるでおもちゃの兵隊のように器用に跳ね、音も立てずに窓辺まで移動しました。虹色の光を放つ苔の隣で、ラッファードは月明かりをその身に浴び、静かに、そして誇らしげに刀身を輝かせていました。
翌朝。
小鳥のさえずりで目を覚ましたリルドは、大きく伸びをしてから、ふと横を見ました。
「あれ? ラッファード、そこにいたっけ?」
窓辺で涼しい顔をして立っている相棒を見て、リルドは首を傾げます。
『……気のせいだ、リルド。夜風に当たりたかっただけだ』
「そっか、剣も夜更かしするんだね」
リルドは深く追求することもなく、いつものように顔を洗い、朝食に昨日の残りのクッキーをつまむと、軽やかな足取りで家を出ました。
ギルドの扉を開けると、そこにはまた活気ある日常が待っていました。
「おはよう、受付さん! 今日は何か、街の掃除みたいな依頼、あるかな?」
「あ、リルドさん! おはよう。……ええ、ちょうど今、広場の噴水の詰まりを直してほしいっていう依頼が来たところよ」
リルドは「それはやりがいがありそうだ」と笑顔で依頼札を受け取ります。
昨夜、勝手に移動して月光浴を楽しんだ魔剣を腰に下げて、最強のFランク冒険者は、今日も誰にも気づかれない平和を守るために歩き出しました。
万年Fランクの日常は、少しだけ不思議な夜を越えて、今日もキラキラとした朝の光と共に始まっていくのでした。




