第343話
井戸の中はひんやりとしていて、水の跳ねる音が心地よく反響していました。
リルドは魔法の灯りを灯すまでもなく、その鋭すぎる五感で、泥の中に沈んだ小さな輝きを見つけ出しました。
「あ、あった。これだね」
指先を伸ばすと、そこには精巧な装飾が施された一本の銀のスプーン。
『……リルドよ。それはただのスプーンではない。王家の血筋のみが使える「毒見の魔具」だぞ。なぜそんな国宝級のものが裏通りの井戸に……』
「うーん、誰かがスープを飲もうとしてうっかり落としちゃったのかな。大変だったろうね」
リルドはスプーンを布できれいに拭うと、地上へ戻り、依頼主である近所のおばあさんに手渡しました。
「はい、どうぞ。きれいになりましたよ」
「ああ、ありがとうねぇ。これでまた孫にスープを飲ませてあげられるわ」
お礼に、おばあさんから焼きたての小さなクッキーを一袋もらったリルドは、意気揚々とギルドへ報告に向かいました。
「ただいま戻りました、受付さん。スプーン、無事に見つかったよ」
「お疲れ様です、リルドさん。……あ、ちょうどよかった。さっきの戦士さんたちが、マンゴーを切り分けて待ってますよ。あっちのソファへどうぞ!」
ギルドの奥では、昨日肩を揉んでくれた大男たちが、不器用な手つきでマンゴーを剥いていました。
「おう、リルド! 遅かったじゃねえか。ほら、食え!」
「わあ、ありがとうございます!」
リルドが差し出された黄金色の果肉を一口食べると、とろけるような甘さと爽やかな香りが鼻を抜けました。
「……んー! すっごく甘い! 幸せだなぁ……」
最強の力がどうとか、世界の危機がどうとか、そんなことは今のリルドには関係ありません。
井戸の底で落とし物を見つけ、お礼にクッキーをもらい、仲間と美味しいマンゴーを分かち合う。
「(……やっぱり、僕にはこういう毎日が一番似合ってるんだな)」
リルドが楽しそうに笑うと、ギルド全体の空気がふんわりと温かくなり、居合わせた冒険者たちの疲れが不思議と引いていきました。無自覚に「至福の波動」を振りまきながら、彼は贅沢な午後を満喫します。
万年Fランクの日常は、マンゴーの甘い余韻に浸りながら、今日もどこまでも穏やかに、そして賑やかに更けていくのでした。




