第341話
昨日の肩揉みの余韻で、心も体もすっかり軽くなったリルド。
今日は朝から「絶対にこれを食べるんだ」と決めていたメニューがありました。
エプロンをきゅっと締め、リルドは自宅の小さなキッチンに立ちます。
「よし、今日は野菜の水分だけで作る、とっておきの無水カレーにしよう」
まずは、昨日市場で買っておいた真っ赤なトマト。包丁を入れると、完熟した果汁がまな板に溢れ出します。それを鍋の底に敷き詰め、その上に薄切りの玉ねぎを山のように重ねました。
「じゃがいもと人参は、少し大きめに切ろうかな。ホクホクしてる方が美味しいしね」
さらに、角切りにした豚肉を贅沢に乗せます。最後に、香りの良いカレー粉をふりかけると、まだ火をつけていないのに、キッチンにはスパイシーで食欲をそそる香りが漂い始めました。
「あとは、蓋をして弱火でじっくり待つだけ」
『……リルドよ。水を一滴も入れぬとは、お主、また「理」を無視した調理法を選んだな。焦げ付かぬよう、無意識に底の方の温度を魔法で調整しておるのが丸見えだぞ』
「あはは、バレちゃった? でも、こうすると野菜の甘みがギュッと凝縮されるんだよ」
コトコトと小さな音が鳴り始め、鍋の中では野菜たちが自分たちの水分で蒸し上げられていきます。リルドはその間、窓辺の「七色苔」に霧吹きで水をやりながら、ゆっくりと流れる時間を楽しみました。
一時間後。
蓋を開けると、そこには水を入れていないとは思えないほど濃厚な、黄金色のカレーが完成していました。野菜の形は程よく残り、豚肉はスプーンで切れるほど柔らかそうです。
「できた! 最高の出来栄えだよ」
炊きたての白いご飯に、たっぷりとカレーをかける。
一口食べると、トマトの酸味と玉ねぎの甘みが口いっぱいに広がり、後からカレー粉の刺激が追いかけてきます。
「……んーっ、美味しい! 頑張って作ってよかった」
『……ふん、我にもその香りを分かち合え。……む、これは……。ただのカレーではないな。食べた瞬間、内臓の魔力伝達効率が極限まで高まっておるぞ』
最強の力を「火加減の微調整」に注ぎ込み、究極の一皿を作り上げる。
リルドにとっての「戦い」は、いつだって美味しいごはんを平和に食べることなのです。
万年Fランクの日常は、スパイスの香りに包まれながら、今日も心もお腹もいっぱいに満たされた。




