第336話
リルドが図書館の隅で「花のイラスト」に夢中になっている頃、学術都市の魔導研究所では、阿鼻叫喚の騒ぎが起きていました。
きっかけは、ギルドの受付嬢が食べ残した「一切れの浅漬け」の欠片。賢者たちが最新の魔力測定器にそれをかけた瞬間、針が限界を超えて吹き飛び、建物全体が黄金の輝きに包まれたのです。
「馬鹿な……! この一切れに、古代龍の心臓十個分に匹敵する『根源的生命力』が宿っているだと!?」
「汁だ! この液体の成分を調べろ! ……これは……神の涙か!? いや、それ以上に純粋な……ただの塩水だと!?」
賢者たちが白目を剥いて泡を吹いているとは露知らず、リルドは図書館の整理を終え、お気に入りの「花の魔導書(自称:スケッチブック)」を小脇に抱えて、夕暮れの街を歩いていました。
「ふぅ、いい運動になった。学術都市の本は、なんだか熱心に語りかけてくる気がするね」
『……リルドよ。それはお主の魔力に当てられて、死んでいた書霊たちが必死に自己主張しておっただけだぞ。おかげで図書館の結界が強化されすぎて、誰も入れぬ聖域になっておるわ』
「あはは、静かでいいじゃない。……おや、あそこの路地裏。なんだか困っている子が……」
リルドが視線を向けた先には、薄汚れた身なりの少女が、動かなくなった小さな自律型魔導人形を抱えて泣いていました。それはこの都市の技術の粋を集めた、しかし今は魔力回路が焼き切れて「修復不能」と診断された旧型の玩具でした。
「どうしたの? 動かなくなっちゃった?」
「……うん。おじいちゃんが作ってくれた、世界に一つだけの大事な子なの。でも、もう直らないって……」
リルドは「どれどれ」と屈み込み、汚れた人形の頭をポン、と叩きました。
彼の手のひらから、無意識に「古代の重石」の残滓と、彼自身の穏やかな魔力が流れ込みます。
「ちょっとだけ、背中をトントンすれば……ほら、起きて」
次の瞬間、人形の目がルビーのように赤く輝き、焼き切れていた回路が黄金の糸で再構築されました。人形はギギッ、と音を立てて立ち上がると、少女の涙を指先で拭い、軽やかに踊り始めたのです。
「わあ……! 動いた! ありがとう、お兄ちゃん!」
「よかったね。……あ、そうだ。これ、おやつにどうぞ」
リルドはポケットから、例の「神代の石板の破片」で磨き上げた、ただの飴玉を手渡しました。少女がそれを口にした瞬間、彼女の魔力素養が大陸最高峰レベルまで跳ね上がったのは、また別のお話。
夕闇が迫る頃、リルドは宿へと戻る途中で、広場に集まった賢者たちの行列を見かけました。
「あの『浅漬けの賢者』はどこだ!」と叫ぶ彼らを横目に、リルドは鼻歌を歌いながら通り過ぎます。
「ラッファード、明日はそろそろ自分の街に帰ろうか。やっぱり、うちの七色苔が恋しいや」
『……賛成だ。ここにおると、お主が意図せず世界のパワーバランスを破壊し尽くしてしまいそうで、我の心臓(核)に悪いわ』
最強の力で「壊れた玩具」と「少女の心」を直し、本人はただの親切のつもりで満足している。
万年Fランクの日常は、伝説を量産しながらも、本人の心は常に「故郷の窓辺」へと向かっていく。




