第329話
翌朝、リルドはいつも通りの時間に目を覚ました。
昨日の夕食で余ったお肉を細かく刻んで、簡単なサンドイッチを作る。夢の中の賑やかさはもう記憶の隅に追いやられ、指先に伝わるパンの柔らかさが、今のリルドにとっての確かな現実だった。
「よし、行こうか、クロ。ラッファード」
『うむ。今日は少し冷えるな。我をしっかり帯に固定せよ。ガタガタ揺れるのは好かん』
そんな相棒の小言を笑い飛ばし、リルドは街の喧騒へと踏み出した。
ギルドに到着すると、そこには昨日と何一つ変わらない光景があった。酒を酌み交わすベテラン、大声で武勇伝を語る若手、そして忙しそうに書類を捌く受付嬢。魔王も聖女もいない、いつもの「冒険者ギルド」だ。
リルドは慣れた足取りで掲示板の前へと向かった。
特にこれといった波乱を期待するわけでもなく、ただ今日一日をどう過ごそうか、それだけを考えて。
「(今日は……あ、これにしようかな)」
彼が手を伸ばしたのは、掲示板の最下段。
『【常設】薬草園の害虫駆除。および肥料撒き』
「おはよう、受付さん。今日はこれ。ちょうどいい運動になりそうだから」
「おはよう、リルドさん。ふふ、本当に地味な仕事が大好きね。でも、あなたの後の畑はいつも元気が出るって、組合の人が喜んでたわよ。いってらっしゃい」
「うん、いってきます」
特別なことは何もない。
誰かに正体を見破られることも、伝説の魔獣に襲われることもない、穏やかな一日の始まり。
リルドは籠を背負い、鼻歌まじりに街の外へと歩き出した。
昨日拾った黒い石がポケットの中でコツコツと跳ねるのを感じながら。
最強の力を秘めながら、彼は今日も一人の「万年Fランク」として、世界の隅っこで静かな幸せを紡いでいく。
万年Fランクの日常は、何も起きない平和という名の贅沢を噛み締めながら、今日もゆるやかに、どこまでも心地よく過ぎていく。




