第328話
作業を終えたリルドは、沈みゆく夕陽に照らされながら、いつもの帰り道を歩いていた。
ドブさらいを終えた水路は、夕焼け空を鏡のように映してキラキラと輝いている。
「ふぅ、やっぱりこの静かさが一番だね。……でも」
ふと、夢の中の騒がしさを思い出す。
自分に無理やり野菜を食わされていた魔王や、ドブの臭いに顔をしかめながらも必死に掃除を手伝っていた聖女。あんなに賑やかだった我が家が、今は少しだけ広く感じられた。
「よし、今日は頑張ったし、帰りにお肉屋さんへ寄ろう。ちょっとだけ、贅沢しちゃうよ」
立ち寄った市場のお肉屋さんで、リルドはいつもより厚みのある牛肉を二枚買った。
「おや、リルド。今日は景気がいいね」
「あはは、ちょっとお祝いなんだ。……自分へのね」
家に戻ると、リルドはさっそく台所に立った。
ジュウ、と肉が焼けるいい音が狭い部屋に響く。
テーブルの上には、二つ並んだお皿。無意識に二枚の肉を焼いてしまった自分に気づき、リルドは苦笑いを浮かべた。
「……あ、つい癖で。夢の魔王様の分まで焼いちゃったみたいだ」
『ふん、お主というやつは。夢の中の居候にまで情をかけるとはな。その一枚は我が刀身で切り刻んでやってもよいのだぞ?』
「だめだよラッファード。これは明日のお弁当にするから」
窓辺に目をやると、小さな「七色の種」の芽が、月明かりを浴びて淡く光っていた。
夢のように一晩で大樹にはならないけれど、その小さな芽は確かに、リルドの日常と同じ速度でゆっくりと育っている。
夕食を終え、リルドは窓を開けて夜風を招き入れた。
「おやすみ、クロ。おやすみ、ラッファード。……おやすみ、夢の魔王様たち」
最強の力を持つ青年は、今日も狭いベッドに横たわる。
誰にも知られない神業で世界の微細な歪みを整えながら、明日もまた、薬草を摘み、石を拾い、平凡という名の至福を積み重ねていく。
万年Fランクの夜は、月明かりに守られた静寂の中で、どこまでも穏やかに更けていく。




