第326話
翌朝、リルドは窓の外から漂ってくる、これまでに嗅いだこともないような芳醇な香りで目を覚ました。
庭を見ると、昨日まで「芽」だった世界樹が、もはや立派な大樹となり、その枝には七色に輝く果実がたわわに実っていた。
「わあ、美味しそうな実がなったね。魔王様、起きて。朝ごはんに食べようよ」
「ぬぅ……貴様、世界中の英雄が命を懸けて奪い合う『神の果実』を、朝のサラダ感覚で収穫するな……」
魔王は毛布に包まったまま毒づいたが、差し出された果実を一口齧るなり、「……ふむ、悪くない」と頬を緩ませていた。
ギルドへ向かう道中、リルドは異変に気づいた。
街中の人々が、空を見上げて指を差しているのだ。
「なんだ、あの巨大な白い船は……!?」「神殿の船か? それとも……」
空には、雲を割って降りてくる巨大な黄金の飛行船。それは教会の最高権力者、聖女を冠する一行のものだった。
ギルドの扉を開けると、中は昨日以上のパニック状態だった。
「リルドはどこだ! 聖女様がお会いになりたいと仰っている!」
騎士たちが血眼で叫ぶ中、リルドは魔王を背中に隠すようにして(隠れきれていないが)、そっと掲示板の隅へ移動した。
「(げっ!? 今度は聖女様……?)」
『魔王に聖女か。お主の家が世界の終末拠点になりつつあるな』
「あ、リルドさーん! 聖女様が、魔力の源泉がこの街にあるって仰って、あなたを探して……」
受付嬢が縋り付こうとした瞬間、ギルドの扉が静かに開いた。
眩い光と共に現れたのは、清楚な白い法衣に身を包んだ、美しき聖女。
「見つけましたわ。世界を陰から支える、真の守護者様……」
聖女がリルドの前に跪こうとしたが、リルドは素早くそれを避け、掲示板の依頼札を剥がした。
「……人違いじゃないかな。僕はただのFランクで、今日はこれから『川のゴミ拾い』に行かなきゃいけないんだ」
「ゴミ拾い……。ああ、なんと慈愛に満ちたお言葉。大地の汚れを清めると仰るのですね! 私もお供いたしますわ!」
「待て、女。リルドの隣は俺様の特等席だ!」
魔王が身を乗り出し、聖女と火花を散らす。
「あら、禍々しい気配……。魔王様、あなたのような方が、どうして守護者様の御側に?」
「俺様が先に居候になったからだ! 文句あるか!」
結局、リルドが川辺へ移動すると、右に魔王、左に聖女、肩にクロ、腰にラッファードという、世界を滅ぼすか救うかどちらかしかできないようなパーティが出来上がっていた。
「お前ら……邪魔だ。リルド、このゴミは俺様の魔炎で消し去ってやろうか?」
「魔王様、野蛮ですわ。私の浄化の光で、分子レベルで消滅させれば良いのです」
「二人とも、ダメだよ。分別して捨てないと。ほら、魔王様は空き缶、聖女様は流木を拾って」
最強の二人が、リルドに叱られながら泥にまみれて川掃除をする光景を、遠くから見守るギルドマスターは、ついに静かに涙を流して天を仰いだ。
夕暮れ時。
リルドは、お礼に貰った(というより聖女が無理やり寄進した)高級な茶菓子を持ってギルドに戻った。
「ただいま、受付さん。川、ピカピカになったよ。この二人も、意外と掃除が上手だったな」
「お疲れ様です……。あの、聖女様が魔王様に『ゴミの捨て方が甘いですわ!』と説教しているのですが、世界平和ってこういう形でしたっけ……?」
報告を終え、リルドの家に戻ると、聖女は当然のように世界樹の木陰に天幕を張った。
「今日から私もここで、世界の理を学びますわ」
「……ええっ!? 庭、狭くなっちゃうよ!?」
『……終わった。今度は聖歌といびきの合奏で、我の眠りが永遠に閉ざされる……』
魔王と聖女が一つ屋根の下(と庭)に集結した。
万年Fランクの日常は、世界の頂点たちを「掃除当番」に変えながら、今日も騒がしく、そして不思議なほど平和に更けていく。




