第323話
翌朝、リルドは庭に植えた「七色の種」にじょうろで水をやりながら、土の表面が微かに脈動しているのを感じて微笑んだ。
「おはよう、種さん。ゆっくり大きくなってね」
『……リルドよ。その種から漏れ出る魔力だけで、この街の結界が三つは張れそうなのだが……。お主、本当にただの観賞用だと思っておるのか?』
ラッファードが呆れたように念じるが、リルドは「綺麗な花が咲くといいよね」と、どこまでもマイペースだ。
ギルドへ向かうと、掲示板の前では何やら重苦しい空気が漂っていた。
「……東の森の『嘆きの沼』に、本来そこにはいないはずの古龍が迷い込んだらしい」「Sランクパーティが招集されたが、到着まで三日はかかるぞ……」
冒険者たちが深刻な顔で話し合っているのを横目に、リルドは掲示板の隅っこ、画鋲が半分外れかかった依頼札を指先で直した。
『【緊急】おばあちゃんの家まで「特製ジャム」を届けてほしい。※ただし、道中の草刈りも含む』
「今日はこれにしよう。おばあちゃん、ジャムを待ってるだろうし。ちょうど森の散歩もしたかったんだ」
リルドはその依頼札を剥がし、受付へ持っていった。
「おはよう、受付さん。この『ジャム配達』に行ってくるよ」
「おはよう、リルドさん。……えっ、その依頼のルート、今騒ぎになってる『嘆きの沼』のすぐ近くだわ! 龍が出たって噂があるのよ? 別の道にしたら?」
「あはは、大丈夫だよ。草刈りしながらゆっくり行くから」
リルドは籠の中に、依頼主から預かった瓶詰めのジャムを大切に詰め、いつものように森へと入った。
道中は確かに荒れていた。巨大な鉤爪で引き裂かれたような木々や、凍りついた地面。しかし、リルドはそれを「昨日の嵐のせいかな?」と独り言ちながら、手にした小さな鎌(実際はただの安物だが、彼が持つと空間ごと刈り取る刃となる)で、生い茂る雑草をリズムよく刈り取っていく。
沼の近くに差し掛かった時、背後から凄まじい威圧感と共に、青白い鱗を持つ古龍が姿を現した。龍は傷ついているのか、苦しげに咆哮を上げ、周囲を氷漬けにしようとしている。
「おや、大きなトカゲさん……じゃない、龍さんだね。そんなに騒いだら、ジャムの瓶が割れちゃうよ」
リルドは歩みを止めず、空いた方の手で、足元に落ちていた「凍った小枝」を一本拾い上げた。
そして、龍がまさにブレスを吐こうと大きく口を開けた瞬間、その小枝を喉の奥へ向かって「ポイッ」と放り投げた。
「はい、お口を閉じて」
小枝は龍の急所である口腔内の魔力中枢を、羽毛のような軽さで「トン」と突いた。
瞬間、龍の全身から力が抜け、巨体は静かに、しかし豪快に地面へ倒れ込み、そのまま深い眠りについた。ついでにリルドが放った微かな癒やしの魔力が、龍の傷をみるみる塞いでいく。
「よし、静かになった。草刈りの続きをしなきゃ」
夕暮れ時、リルドは約束通りおばあちゃんの家へジャムを届け、お礼に焼きたてのクッキーを貰ってギルドに戻った。
「ただいま、受付さん。ジャム、無事に届けたよ。途中に大きな龍が寝てたけど、道は綺麗に草を刈っておいたから、明日からは通りやすいと思うな」
「お疲れ様です、リルドさん! ……えっ、龍が寝てた? いま偵察隊から報告があったわ、『古龍がなぜか無傷で、かつ非常に満足そうな顔で昼寝をしている』って……。あなたが通った後、沼の呪いまで浄化されてたらしいじゃない!」
受付嬢は震える手で報酬の銅貨を渡した。
「あはは、お昼寝日和だったからね。はい、お土産のクッキー。みんなで食べて」
帰り道、リルドはクッキーを齧りながら、ラッファードの鞘を優しく叩いた。
「今日も平和だったね、ラッファード」
『……お主というやつは。古龍を「大きなトカゲ」扱いして黙らせ、ついでに聖域化までしてくるとはな。……まあ、このクッキーが美味いのは認めよう』
最強の力で「ジャム」を守り抜き、本人は貰ったお菓子の味に目を細めている。
万年Fランクの日常は、伝説の魔獣を寝かしつけながら、今日も美味しく更けていく。




