第311話
朝食を済ませたリルドは、少し重い頭を振りながら、ギルドから預かった書状を読み返した。
「ええと、今回の依頼は……物資の配送と、それから村の外れにある『土留めの石垣』の点検だね」
準備を整えて外に出ると、昨夜介抱してくれたあの男性が、村の入り口付近で作業をしていた。
「あ、おはよう。昨日は本当に……」
「お、おう! 気にすんな! 俺は忙しいんだ!」
リルドが近づこうとすると、彼は弾かれたように後ずさりし、顔を背けてしまった。
「(??? ……やっぱり、お酒の席で失礼なことを言っちゃったのかな)」
首を傾げながらも、リルドは村の外へと歩き出した。
石垣の点検は、彼にとって「散歩」の延長線上にある楽しい作業だ。崩れかけた石の隙間に指を差し込み、地脈の呼吸を感じながら、指先一つで重心のズレを「トン」と直していく。
『ふむ……。お主が撫でた場所から、石たちが整列し直しておるな。もはやこの石垣、城壁よりも堅牢になったのではないか?』
「(あはは、ただのメンテナンスだよ、ラッファード)」
予定の作業をすべて終え、夕暮れ時。リルドは村へと戻る坂道を、鼻歌まじりに歩いていた。
その時、道端に咲いていた珍しい高山植物に目を奪われ、足元の浮き石に気づかず「おっと……!」と大きくバランスを崩した。
「あぶねぇっ!」
背後から飛んできた強い力が、リルドの体をがっしりと受け止めた。例の男性だった。彼はリルドの不注意を見逃さず、ずっと遠くから(様子を伺うように)見ていたのだ。
「……っ!!」
支えた瞬間、男の腕に伝わるその感触。
細い腰、しなやかな肩。そして、不意に鼻をくすぐる、石鹸と森の混ざったような清涼な香り。
(……やっぱ、柔らけえ……。なんでだ!? こいつ、本当に男か!? 骨格が……質感が、俺たちの知ってる野郎のそれじゃねぇ……!!)
「あ、ありがとう。助かったよ」
リルドが申し訳なさそうに微笑むと、男は「……っ、ああ!!」と叫びながら、熱湯を浴びたかのように手を離し、脱兎のごとく村の中へ逃げ去ってしまった。
「(??? ……あ、危ないから走っちゃだめだよー!)」
『……ふっ。純朴な村の男を、存在そのもので狂わせておるな。お主の「無自覚」という名の暴力は、魔王の軍勢よりよほど恐ろしいわ』
翌日、リルドはギルドに戻り、受付さんに報告をした。
「ただいま、受付さん。アルト村の物資も石垣も、全部終わったよ。……でも、村の人がなんだかずっと慌ただしくて、落ち着かなかったな」
「おかえりなさい、リルドさん! お疲れ様でした。……ふふ、きっとリルドさんの『お散歩』が、村に新しい風を吹かせたんでしょうね。はい、こちら報酬の銅貨です」
チャリン、とポケットで鳴る銅貨の音。
リルドは不思議そうにしながらも、いつものように穏やかな笑顔でギルドを後にした。
最強の力で無双する代わりに、一人の男の人生観を(物理的な柔らかさで)揺さぶってしまう。
万年Fランクのリルドの毎日は、本人の知らないところで小さな伝説を刻みながら、今日も贅沢に更けていく。




