31話
翌朝、リルドはいつものようにギルドの扉をくぐった。
昨日、大蟻を小石一つで仕留めた謎の人物の噂でもちきりの館内だったが、彼はそんな喧騒に耳を貸すこともなく、いつもの「端っこ」の掲示板へと歩み寄った。
「今日は……あ、これがいいな」
彼が指先で剥がしたのは『ルルブ草原での薬草採取』という、新米冒険者向けの極めてありふれた依頼書だった。
「受付さん、今日の依頼はこれにするよ」
「リルドさん、おはようございます。……また薬草採取ですか? 昨日のスウェアキャットの件、職員さんが『あんなに幸せそうな顔は見たことがない』って感激してましたよ。もっと上の依頼でも……」
「いいんだよ。今日は天気がいいから、草原でお昼寝するのも兼ねていこうと思って」
リルドは困ったような笑顔を浮かべ、受付嬢から依頼のスタンプを受け取ると、鼻歌まじりに街を出た。
街から少し離れた場所に広がるルルブ草原は、心地よい風が吹き抜ける緑の海だった。リルドは「土木・清掃」の応用で、土壌の気配から最も質の良い薬草が生えている場所をすぐに見つけ出した。
「よし、ここだね」
彼が屈み込み、手際よく薬草を摘んでいると、背後の草むらがガサガサと揺れた。
現れたのは、この付近を縄張りにしている一頭のウルフだった。本来なら冒険者を襲う獰猛な魔獣だが、そのウルフはリルドに敵意を見せるどころか、まるで親しい飼い主を見つけた犬のように駆け寄ってきた。
「わわっ、おはよ。君も遊びに来たの?」
リルドが立ち上がる間もなく、ウルフは彼に飛びつき、親愛の情を込めてその顔を大きな舌でレロレロと舐め始めた。
「あははっ、くすぐったい……よ……もう、やめてよ」
リルドは目を細め、嬉しそうに笑いながらウルフの首元を優しく撫でてやった。
撫でられたウルフは至福の表情を浮かべ、千切れんばかりに尻尾をパタパタと振り、草原の草をなぎ倒すほどの勢いで喜びを表現していた。
十分な量の薬草を摘み終えたリルドは、名残惜しそうにウルフと別れ、帰り道をのんびりと歩き出した。
すると、前方の街道から凄まじい足音が響いてきた。
「うわあああああ!! 助けてくれええ!!」
叫び声を上げて走り抜けていったのは、全身傷だらけのCランク冒険者のパーティーだった。その後ろからは、怒り狂った大型の魔獣が土煙を上げて追いかけてきている。
「おっと……」
リルドはひらりと身をかわして街道の脇に避けた。
冒険者たちが必死な形相で駆け抜けていくのを「大変だなぁ」と眺めながら、彼はその魔獣が自分の綺麗に手入れした道を踏み荒らさないかだけを心配していた。幸い、魔獣は冒険者を追ってそのまま森の奥へと消えていった。
夕方、リルドは再びギルドへと戻ってきた。
「ただいま。受付さん、薬草採取の完了報告だよ」
「おかえりなさい! ……あれ、さっきCランクのベテランさんたちが『死ぬかと思った』ってボロボロで帰ってきたんですけど、リルドさんは大丈夫でしたか?」
「ええ、特に何事もなく。草原はとても静かで、いいお昼寝日和だったよ」
リルドは摘みたての、最高級品と言っても差し支えないほど鮮度の良い薬草をカウンターに並べた。
「はい、これが依頼の薬草。全部で二十束あるよ」
「……相変わらず、リルドさんの持ってくる薬草はどれも傷一つなくて完璧ですね。これなら品質ボーナスも出せますよ」
受付嬢は驚きながらも、手際よく報酬を計算していった。
リルドは受け取った銅貨を袋に入れて軽く鳴らすと、満足げに微笑んだ。
「ありがとう。明日も晴れるといいな」
万年Fランク、リルド。
彼にとっての「冒険」は、今日も平和で、そして誰にも知られないまま穏やかに幕を閉じるのだった。




