第307話
ギルドの重厚な扉を押し開けると、いつものように熱気と喧騒がリルドを包み込んだ。
「おい、昨日の獲物は銀貨三枚にしかならなかったぞ!」
「景気の悪いこと言うな、今日はもっと奥まで足を伸ばすんだ!」
ジョッキがぶつかる音、笑い声、そして若手冒険者たちの功名心に溢れた声。そんな賑やかさをBGMに、リルドは食堂の隅にある小さな空席に腰を下ろした。
「いつもの、お願い」
運ばれてきたのは、少し固めの黒パンと、具沢山の野菜スープ。リルドはそれを、急ぐこともなく一口ずつ丁寧に咀嚼し、お腹を温めていく。特別な美食ではないけれど、この「いつもの味」が、彼には一番落ち着く。
『リルドよ、お主の食べ方は相変わらず品が良すぎて、この野蛮なギルドでは浮いておるぞ。もっと獣のように食らわぬか?』
腰のラッファードが小声で茶化すが、リルドは「あはは、これが僕のペースなんだよ」と心の中で返し、スープを最後の一滴まで飲み干した。
食事を終えると、リルドは喧騒のただ中にある掲示板へと歩み寄る。
派手な討伐依頼や、高額報酬の探索依頼には目もくれず、彼は最下段の隅っこで埃を被りかけていた、いつもの依頼札を一枚だけ指で弾くようにして剥がした。
『薬草採取:風見草、および月見草』
「おはよう、受付さん。今日はこれをやってくるね」
「おはようございます、リルドさん。……ええ、またそれですね。リルドさんが持ってきてくれる薬草は、傷みがなくて使いやすいって調合師の間で評判なんですよ。いってらっしゃい」
森の中は、ギルドの喧騒が嘘のように静まり返っていた。
リルドは「視野拡大」を微かに使い、木漏れ日の隙間に隠れるように生えている薬草を見つけ出す。
「よし、いい色だ。……無理に引っ張っちゃだめだよ、優しくね」
根を傷つけないよう、指先に込めた繊細な魔力で土を解し、一株ずつ丁寧に籠へ収めていく。その手つきは、まるで宝物を扱うかのようだった。
その時、近くで大きな枝が折れる音がしたが、リルドは振り返りもしない。ただの迷い込んだ鹿が通り過ぎるだけだと、空気の振動で分かっているからだ。最強の力を振るう必要など、この静かな森にはどこにもない。
夕暮れ時、リルドは籠いっぱいの瑞々しい薬草を抱えてギルドに戻った。
「ただいま、受付さん。……今日の風見草は、いつもより少し香りが強いみたいだよ」
「おかえりなさい! ……本当ね、なんていい香り。これならきっと、いいお薬が作れます。ありがとうございます。はい、こちら報酬の銅貨よ」
チャリン、と手のひらに乗った数枚の銅貨。
リルドはそれを大切にポケットにしまうと、茜色の空の下、ゆっくりと家路についた。
特別な事件も、劇的な出会いもない。
けれど、摘んできた薬草が誰かの傷を癒やし、自分は拾った石を眺めて眠りにつく。
万年Fランクのリルドにとって、それ以上に価値のある「冒険」は存在しなかった。




