第303話
少し騒がしくなりすぎたギルドの熱気を避けるように、リルドは数日の間、自宅の庭いじりやクロとの散歩に時間を費やしていた。
「……ちょっと、やりすぎちゃったかな。ラッファード、僕たちは目立たず静かに暮らすのが一番なんだから」
『ふむ。お主が石を一つ撫で、水を一杯汲むだけで奇跡が起きるのだから、加減というものは難しいな。我も少し、鞘の中で大人しくしておこう』
「キー……」
クロも同意見なようで、リルドの肩で小さく頷いた。
数日ぶりに出向いたギルドは、幸いなことに、料理長のスープや水路の噂も「不思議なこともあるものだ」という日常の怪談話程度に落ち着き始めていた。冒険者たちも、いつものように「どの魔獣が強いか」や「酒の味」といった世俗的な話題に戻っている。
リルドは目立たないように壁際を歩き、掲示板の最下段、最も地味な依頼札を一枚、そっと剥がした。
「おはよう、受付さん。今日はこれに行ってくるね」
受付嬢も、リルドが数日姿を見せなかったことで、彼が静寂を好むことを察したのか、落ち着いたトーンで応えた。
「おはようございます、リルドさん。……ええ、それが一番いいかもしれませんね。今日の依頼は『西の街道の、外灯のオイル補充』です。魔石の微調整も必要ありません、ただ、注ぎ足すだけ。……今のリルドさんには、ちょうどいいかもしれません」
「ありがとう。……行ってきます」
西の街道。夕暮れ時になると旅人の足元を照らす古い外灯が、等間隔に並んでいる。
リルドは脚立も使わず、ふわりと浮き上がるような軽い足取りで、一つ一つの外灯に丁寧にオイルを注いでいった。
『……リルドよ。魔力を使わず、ただの油を注ぐだけか。お主のその「徹底した普通」への拘り、もはや芸術の域だな』
「(しーっ、ラッファード。今はこれでいいんだよ)」
リルドは余計な魔力を一切込めず、ただの「作業」として外灯を回った。芯を少しだけ整え、ガラスの曇りを布で拭う。特別な光ではなく、どこにでもある、温かく、少し頼りない橙色の灯り。
それが街道に一つ、また一つと灯っていく。
夕闇が降りる頃、リルドは空になった油差しを持ってギルドに戻った。
「ただいま、受付さん。外灯、全部補充してきたよ。これで今夜の旅人も安心だね」
「おかえりなさい、リルドさん。お疲れ様でした。派手な奇跡もいいけれど、こういう『当たり前』を支えてくれる人がいるから、この街は平和なんですよね。はい、報酬の銅貨です」
「(……うん、この感じが一番落ち着くや)」
報酬の銅貨を一枚、ポケットに仕舞い、リルドは静まり返ったギルドを後にした。
最強の力で夜を昼に変えるのではなく、ただ外灯を灯して、暗闇を少しだけ和らげる。
万年Fランクのリルドの日常は、背伸びをせず、等身大の歩幅で、今日も静かに更けていく。




