第295話
翌朝、リルドがギルドの扉を開けると、そこにはかつてないほど「気まずい沈黙」が漂っていた。
昨日、一緒に温泉へ行ったCランク冒険者が、食堂の隅で魂の抜けたような顔をして、ひたすらココアを啜っている。その周囲では、事情を察した(あるいは誤解した)仲間たちが「……気にするな」「世の中には、知らない方が幸せなこともある」と、肩を叩いて慰めていた。
「(あはは……なんだか、すごく申し訳ないことをしちゃったかな)」
リルドが視線を泳がせながら掲示板へ向かおうとすると、腰のラッファードがこれ見よがしに鞘をガタつかせた。
『リルドよ、昨日の衝撃以来、あの男からは「真理に到達した者」のような悟りの気配を感じるぞ。お主、ある意味では魔獣を倒すより大きな手柄を立てたのではないか?』
「(もう、茶化さないでよ。……あ、おはよう、受付さん)」
今日の依頼は、街の子供たちからの可愛らしい願い事だった。
『裏山の「虹色の粘土」を採ってきて! 最高の工作をしたいの!』
「虹色の粘土……。雨上がりの崖にしか出ない、珍しい粘土だね。よし、行ってくるよ」
裏山の崖下。リルドはクロを偵察に飛ばし、粘土が露出している場所を探していた。
「あ、あった。本当にキラキラしてる……。これなら子供たちも喜ぶね」
リルドが丁寧に粘土を掘り起こしていると、崖の上の茂みから、獲物を狙う『フォレスト・スネーク』が音もなく滑り降りてきた。だが、リルドは粘土の質を確かめるのに夢中で、振り返りもしない。
「クロ、あの子たちにぶつからないように、ちょっとだけ道を作って」
「キーッ!」
クロが鋭い羽ばたきで突風を起こし、ヘビの体勢を崩した瞬間。リルドは手に持っていた「粘土を削るための小さなヘラ」を、無造作に背後へ向けてシュッと振った。
ヘラから放たれた微風のような衝撃波が、ヘビの側頭部を優しく叩く。
「キュゥ……」
ヘビはそのまま、まるで魔法にかけられたように丸まって眠りに落ちてしまった。
『……ふむ。粘土を掘る手つきで、森の捕食者を無力化するか。お主の「ついで」の力は、相変わらず加減というものを知らんな』
「だって、せっかくの粘土に砂が混じったら大変でしょ?」
夕暮れ時、リルドは虹色に輝く粘土の塊を持ってギルドに戻った。
「ただいま、受付さん。粘土、採ってきたよ。子供たちに渡してあげて」
「おかえりなさい、リルドさん! まあ、こんなに綺麗な虹色……。あの子たち、きっと大喜びで英雄の像でも作るでしょうね。……あ、例のCランクの彼ですが、さっき『俺は、もっと「本質」を見抜ける男になる』と言い残して、修行の旅に出ましたよ」
「えぇ……。なんか、ごめんなさい……」
報酬の銅貨をチャリンと鳴らし、リルドは少し複雑な気持ちでギルドを後にした。
最強の力で粘土を採り、最強の事実で冒険者の人生観を変えてしまう。
「(……帰ろう、ラッファード。クロ、今夜は美味しい野菜炒めにしようね)」
『うむ。真理を突きつける「おっぱい問題」から、虹色の工作まで。……今日もお主の周りは退屈せんな。わっはっは!!』
「(もう、笑いすぎ!)」
万年Fランクの日常は、誰かの夢を壊し、誰かの夢(工作)を叶えながら、今日も穏やかに、そしてちょっぴり騒がしく更けていく。




