第293話
翌朝、リルドは自宅の縁側で、昨日の不思議な出会いを思い出していた。
「あの子、無事に帰れたかな。『ハマウドラ』ってどこだろうね、クロ」
肩に止まったクロが「キー」と短く鳴く。一方、腰のラッファードは、昨夜からずっと考え込んでいたせいで、心なしか鞘の光沢がどんよりと曇っているように見えた。
『……リルドよ。やはり納得がいかん。我が知る歴史では、エルメルダは数千年前の神話と共に潰えたはず。それが今や、お主のようなのんびりした者が暮らす平和な王国として存続しているとは……。我の方が時空の歪みに落ちていたのか?』
「難しいことはわからないけど、今が平和ならそれでいいじゃない。さあ、行くよ。今日はギルドで『ラーメン』の続報があるかもしれないし」
『……ふん。歴史の謎より麺の正体か。お主らしいな』
ギルドの扉を開けると、そこには案の定、新しい食文化の波に飲み込まれた冒険者たちが、自作の「箸」を手に奮闘する姿があった。
「おい! この棒切れ、肉が全然挟めねぇぞ!」
「馬鹿野郎、力を入れるんじゃない。こう、指を添えて……ああっ、折れた!」
「麺を掬うってのは、もはや高度な身体操作の訓練だな……。やはりラーメンとは、冒険者のための修行食だったんだ!」
どうやら、誰かが聞きかじった知識で「自作ラーメン」の試作会を始めたらしい。食堂の奥からは、鶏ガラと醤油の香ばしい匂いが漂っている。
「(あはは、みんな一生懸命だなぁ……)」
リルドはそんな喧騒を微笑ましく見守りながら、受付へと向かった。
「おはよう、受付さん。今日の依頼、何かある?」
「おはよう、リルドさん。ええ、ちょうどいいのが入っているわ。『竹林の整理、および忘れ物の回収』。昨日のワンちゃんがいた場所の近くね。散らかった笹の葉を掃除してきてくれる?」
「わかった、行ってくるね」
再び訪れた竹林。昨日の不思議な生き物がいた場所には、彼が言っていた「時空の歪み」の余波か、いくつかの奇妙な品が落ちていた。
その中に、竹とは違う質感の、細長くて滑らかな「二本の黒い棒」を見つけた。
「あ、これってもしかして……」
『……お主が言っていた「チョップスティック」ではないか? 昨日のあの生き物、これを落としていったようだな』
リルドがその「箸」を手に取ってみると、それは驚くほど手に馴染んだ。指先にわずかな魔力を込め、試しに地面の小さな小石を摘んでみる。
ヒョイッ。
「……あ、簡単に持てた。これ、すごく便利だね」
『な、なにぃ!? あの冒険者たちが血眼になって修行していた高等技術を、お主は一瞬でマスターしたというのか!?』
「ただ挟むだけだよ? 力を抜けばいいんだ」
リルドはそのまま鼻歌まじりに、箸を使って竹林に散らばった細かいゴミを、まるで宝探しのように一つずつ拾い集めていった。最強の精密操作を、ゴミ拾いのための「箸使い」に全振りするFランク冒険者。
その時、竹林の影から、またしても昨日とは別の『はぐれオーガ』が姿を現した。だが、リルドは右手に箸、左手にゴミ袋を持ったまま、全く動じない。
「今、お掃除中だから、邪魔しないでね」
リルドは箸で摘んでいた「一番硬い竹の節」を、そのままピンッとオーガの眉間に向けて放った。
パシィィィン!
凄まじい速度で弾かれた竹の節は、オーガの脳を揺らし、一撃でその意識を刈り取った。オーガは大きな音を立てて転倒したが、リルドは「あ、袋に穴が開いちゃう」と、そちらを心配する始末だった。
夕暮れ時、リルドは竹林をピカピカにしてギルドに戻った。
「ただいま、受付さん。お掃除終わったよ。あと、これ……忘れ物みたい」
リルドが漆黒の箸をカウンターに置くと、それを見ていた冒険者たちが一斉に静まり返った。
「お、おい……。あいつ、あの伝説の『箸』を使いこなしているのか……?」
「しかも、あの持ち方……淀みがない。あいつ、もしかして東方の『箸聖』の末裔か!?」
「(ええぇ……ただの棒なのに……)」
『……くっくっく。リルドよ。お主が「最強の箸使い」として伝説になる日も近いな』
報酬の銅貨をチャリンと鳴らし、リルドは不思議な達成感と共にギルドを後にした。
歴史の謎も、異世界の生き物も、新しい食文化も。
リルドの手にかかれば、全ては穏やかな「日常」というスープの具材になっていく。




