第290話
夜、自宅に戻ったリルドは、愛剣ラッファードを机に置こうとした。しかし、意思を持つ魔剣は、鞘をガタガタと震わせて主張し始めた。
『風呂! リルド、我も風呂だ! 湯船に浸からせろ!』
「君はだめだよ、ラッファード。錆びたらどうするの。……というか、君は石炭とか魔力を食べるだけでしょ?」
『嫌だ! お主だけさっぱりするのは不公平だ! 入りたぁぁぁい!』
あまりの騒がしさに、リルドは棚から使い古しの丈夫な布を取り出した。
「もう……。今日は特にうるさいんだから」
リルドはラッファードの鞘を、布でいつも以上にギュギュッとキツく締め上げた。まるで口を封じるかのように。
『……っ! こ、これ……っ! こらぁ! 締めすぎだ! 何も見えん!! お主の顔もクロの羽も見えんぞ!!』
「うるさーーい! お風呂の時くらい静かにしてて!」
『しゅん……(絶句)』
「キー……?」
クロが心配そうに首を傾げる中、リルドはぷんぷんと怒りながら浴室へと向かった。
翌朝。リルドが身支度を整えても、腰に下げられたラッファードは沈黙したまま、どことなく「ツン」とした雰囲気を醸し出していた。
「……ねえ、ラッファード。まだ根に持ってるの?」
リルドが苦笑いしながら尋ねると、ようやく鞘が不満げに小刻みに震えた。
『だってぇ!! あんなにキツく締めることないじゃんか!! 我の視界は暗黒に包まれ、孤独の深淵に叩き落とされたのだぞ!!』
「だって、あのままじゃお風呂までついてくる勢いだったでしょ。うるさかったんだもん」
『……お主というやつは。いいか、この声が聞こえるのは、世界広しといえどお主とそこの毛玉……もとい、蝙蝠のクロだけであろう? ならば少しくらい、我の要望に耳を傾けても……』
「キー……(呆れ)」
クロが半分閉じた目でラッファードを見つめると、リルドはふふっと笑って、布の結び目を少しだけ緩めてあげた。
「はい、これで仲直り。さあ、ギルドに行こう? 今日はどんな依頼があるかな」
『……ふん。今回だけは許してやる。だが次は、我専用の桶を用意することを検討せよ!』
「検討だけね。さあ、出発!」
朝の光を浴びながら、一人と一本と一匹の、騒がしくも穏やかな「万年Fランク」の日常が再び動き出した。




