第287話
翌朝、リルドの家の庭には、昨日畑から持ち帰った小石が、円を描くように美しく並べられていた。
「おはよう、クロ。……あはは、夜のうちに並べ直したんだね」
『おはよう、リルド。この毛玉、お主の石積みを真似ているつもりらしい。まあ、並びの規則性に微かな魔力の循環を感じるが……気のせいであろうな』
ラッファードが呆れたように振動する中、リルドは身支度を整えてギルドへと向かった。
ギルドの扉を開けると、そこには「平穏」を通り越して、どこか悟りを開いたような空気が漂っていた。
かつて「肉の聖戦」を繰り広げていた大男たちが、今では一杯の白湯を静かに啜りながら、窓の外を流れる雲を眺めている。
「……なぁ。結局のところ、風の音を聞きながら飲む水が一番身体に染みるんだよな」
「ああ、全くだ。足るを知る……。冒険者に必要なのは、剣の鋭さよりも心の静寂だったんだな」
食への執着から解き放たれた彼らは、もはやリルドの生き写しのような「隠居冒険者」の集団と化していた。
「(みんな、本当に穏やかだなぁ……。あ、おはよう、受付さん)」
『……ふむ。お主の影響力が、ついにギルドの生態系そのものを書き換えてしまったか。もはやここには、野心も闘争心も残っておらんぞ』
そんな受付カウンターで、リルドは一番端に置かれた、埃を被りそうな依頼書を手に取った。
『「忘れ去られた庭園」の草むしり、および古井戸の清掃』
「庭仕事だ。気持ちよさそう。受付さん、これ行ってくるね」
街の北端、古い屋敷の跡地にある「忘れ去られた庭園」。そこは長年の放置により、雑草が人の背丈ほどにまで伸びきっていた。リルドは袖をまくり、一本一本、根を傷つけないように丁寧に草を抜いていく。
『リルドよ。井戸の底に、淀んだ魔力の溜まり場があるぞ。放置すれば街の地下水が汚染される』
「わかってるよ。……よいしょっと」
リルドは井戸の縁に腰掛けると、手の中にあった「抜きたての雑草」を数本、縄のように編み込み、井戸の底へと放り投げた。
ポチャン、と小さな音が響いた瞬間、編まれた雑草はリルドの浄化魔力を吸い上げ、眩い緑の光を放つネットへと変化した。ネットは井戸の底に溜まった数百年の澱みを一瞬で絡め取り、そのまま清らかな真水へと浄化してしまった。
その時、庭園の奥から、住処を荒らされたと勘違いした『地這う大蛇』が鎌首をもたげて現れた。
「驚かせてごめんね。でも、ここを綺麗にすれば、もっと良い場所になるよ」
リルドは立ち上がることなく、手近にあった「庭の枯れ葉」を一枚、指先でピッと弾いた。
枯れ葉は空気を切り裂く刃となり、大蛇の鼻先数センチを通過して、背後の巨岩を真っ二つに両断した。
「……次は、当てちゃうよ?」
リルドが優しく微笑むと、大蛇は恐怖に全身を震わせ、砂煙を上げて森の奥へと逃げ去っていった。
夕暮れ時、リルドはカゴいっぱいの雑草を持ってギルドへ戻った。
「ただいま、受付さん。お庭、見違えるほど綺麗になったよ。井戸の水も飲めるようになったし」
「おかえりなさい、リルドさん。あら、その雑草……。薬師ギルドの人が見たら、血眼になって欲しがるような希少な薬草が混じっているけれど……。はい、こちら報酬の銅貨よ」
「あはは、ただの草ですよ。……帰ろう、ラッファード。クロ、今夜は並べた石の続きをしなきゃね」
報酬の銅貨をチャリンと鳴らし、リルドは茜色に染まる街路を、鼻歌まじりに歩いていく。
最強の力を、最高に贅沢な「暇つぶし」として使い切り。
万年Fランクのリルドは、今日も誰にも知られぬまま、世界の片隅を美しく整えていく。




