第283話
翌朝、リルドは窓辺に置いた「水結晶」の欠片が、朝日に反射して部屋中に小さな虹を散らしているのを見て目を覚ました。
「おはよう、クロ。今日もいい天気だよ」
『おはようリルド。昨日の小石弾き、指の筋肉痛は大丈夫か? お主のデコピン一発で城壁が壊れぬか、我はそれだけが心配だ』
「そんなわけないでしょ」と笑いながら、リルドは身支度を整えてギルドへ向かった。
ギルドの食堂では、昨日以上に混沌とした「肉の宗教裁判」が開かれていた。
「いいか! 『オークのバラ肉』を特製タレで漬け込み、炭火で一気に焼き上げる……これ以上の芸術があるか!」
「待て待て、昨日のトカゲ(アシガルド)の話が忘れられねぇ……。意外と『トカゲの唐揚げ』は鶏肉に似て美味いって聞くぜ?」
「だからゲテモンは殿堂入り(禁止)だって言ってるだろ!」
そんな怒号と笑い声を背に、リルドは掲示板の「至急」と書かれた赤い依頼書を手に取った。
『「嘆きの森」の奥に咲く「真実の百合」を、今夜の婚礼のために届けてほしい』
「婚礼の花か……。それは急がないとね。受付さん、これ行ってきます!」
「嘆きの森」は、以前浄化した沼のさらに奥にあり、常に道が歪んで見える幻惑の森だった。だが、リルドには関係ない。クロの超音波が正確な地形を捉え、ラッファードの魔力が幻を霧散させるからだ。
「あった……。これが真実の百合だね」
白く発光する美しい花を、リルドが優しく摘み取ったその時。
森の影から、空腹で理性を失った『影狼』の群れが飛び出してきた。
「しつこいなぁ……。クロ、眩しくして!」
「キーッ!」
クロが激しく羽ばたき、体毛に溜まった昨日の「水結晶」の粉をキラキラと散らした。リルドがそこに光魔法をわずかに通すと、森の中は真昼のような閃光に包まれた。
狼たちが目を回している隙に、リルドは地面に落ちていた「ドングリ」を拾い上げ、次々と指先で弾いた。
パパパンッ! と乾いた音が響き、ドングリは狼たちの急所(痛覚を刺激するだけの場所)を正確に叩き、戦意を完全に喪失させた。
夕暮れ時、リルドは婚礼の会場である大教会へと駆け込んだ。
「間に合った……! これ、真実の百合です!」
「ああ、ありがとうございます! これで式が挙げられます!」
花を受け取った花嫁は、リルドの手を握って涙を流して喜んだ。その背後で、親族の男たちが「なんて勇敢で美しい少年なんだ……」と、またしても変な目で見始めているのに気づき、リルドは慌ててその場を後にした。
夜、ギルドの報告所に辿り着くと、受付さんがお茶を淹れて待っていてくれた。
「おかえりなさい、リルドさん。花嫁さんから感謝の特急便が届いていましたよ。……あと、森の入り口で『ドングリに撃たれて改心した狼』が見つかったそうですが、これもまた……」
「……不思議なこともあるもんですね。はい、報酬の銅貨。ありがとう!」
「(……帰ろう、ラッファード。今日はもう、人に見られたくないよ)」
『うむ。ドングリで群れを鎮め、百合で愛を繋ぐ。……今日のお主は、まさに「森のキューピッド(物理)」であったな。さあ、今夜は「オーク肉」にも負けない、最高にジューシーなハンバーグといこうじゃないか』
「(ふふ、そうだね。クロ、今日は特別に美味しい木の実も買おうね)」
報酬の銅貨をチャリンと鳴らし、自らの「ドングリ神話」がまた一つ増えたことを知りつつ、リルドは茜色の道を、少し誇らしく、そして少し照れくさそうに歩いていった。
万年Fランク冒険者の日常は、愛とドングリを届けながら、今日も穏やかに更けていく。




