27話
朝の光がギルドの窓から差し込み、埃がダンスを踊っている。
リルドはいつものように、ギルドの入り口近くにある掲示板の前で足を止めた。そこには、血気盛んな若手冒険者たちが「一攫千金だ!」「あっちの魔獣の方が評価が高いぞ」と騒ぎながら、高ランクの依頼札を奪い合う熱気がある。
しかし、リルドの視線はそんな喧騒とは無縁の、掲示板の端っこ、少し色褪せた紙が貼られたエリアに向けられていた。
彼は顎に手を当てて、一枚一枚の依頼書とじっくり「にらめっこ」を始める。
「うーん、今日はどれがいいかなぁ……。あんまり遠いと疲れちゃうし、でもお散歩にはちょうどいい距離がいいし」
彼が探しているのは、効率や名声ではない。歩きながら季節の花を愛で、心地よい風を感じられるような、そんな「ちょうどいい」依頼だ。
やがて、彼の指先が一枚の紙に触れた。そこには『街道沿いの側溝清掃と小石の撤去』と書かれていた。
「これだね。これなら、お日様を浴びながらのんびり進められそうだ」
リルドは満足げにその依頼書を剥がすと、受付へと向かった。
「受付さん、今日の依頼はこれにするよ」
リルドが差し出した依頼書を見て、受付嬢は少しだけ困ったような、それでいて呆れたような笑顔を浮かべた。
「リルドさん、またこれ? あなたの実力なら、もう少し上のランクの依頼も受けられると思うんだけど……」
「いいんだよ。僕はこういう、地味だけど誰かの役に立つ仕事が好きなんだ。場所はここから少し歩いた街道沿い、だよね?」
「ええ、そうよ。でも、最近そのあたりは魔獣の目撃例も増えてるから、本当に気をつけていってらっしゃい」
「うん、気をつけるよ。いってきます」
リルドは軽やかな足取りでギルドを出た。
背中の籠には、清掃用の道具と、お気に入りの水筒が入っている。彼にとって、これは「冒険」ではなく「生活」の一部だった。
目的地に到着したリルドは、鼻歌を歌いながら作業を開始した。かつて彼ががむしゃらだった頃に極めた「土木・清掃」関連のスキルツリーは、今やこうした日々の雑用に惜しみなく使われている。
彼が側溝に手をかざせば、詰まっていた泥や枯葉は最適な水分量でまとまり、驚くほど手際よく片付いていく。
「よし、これで水通りも良くなるね。終わり」
予定よりもずっと早く作業を終えたリルドは、帰り道をのんびりと歩き出した。
道端に咲く名もなき花に話しかけたり、空を流れる雲の形を動物に見立てたりしながら、彼は「今日は晩ごはんに何を作ろうかな」と平和なことを考えていた。
だが、そんな穏やかな空気は、突然の怒号と金属音によって切り裂かれた。
「おい、こっちに来るぞ! 盾を構えろ!」
「ダメだ、殻が硬すぎて攻撃が通らない!」
前方の広場で、数人の冒険者たちが絶体絶命のピンチに陥っていた。
数人のFランク新人と、それを統率しようとするDランクの冒険者が、巨大な蟻の魔獣「ランサーアント」三体に囲まれている。ランサーアントの鋭い顎が、若者の盾を火花を散らしながら削り取っていく。
「あちゃあ……あんなところで暴れられたら、せっかく綺麗にした道がボコボコになっちゃうよ」
リルドは困ったように眉を下げた。
助けに入って目立つのも本意ではない。彼は足元を見下ろし、そこらに転がっている、なんの変哲もない小さな小石を一つ拾い上げた。
彼は冒険者たちの視線が魔獣に釘付けになっているのを確認すると、指先でその小石を「ピンッ」と軽く弾いた。
シュンッ!
小石は空気を切り裂く微かな音さえ残さず、ランサーアントの眉間、もっとも神経が集中している急所に正確に吸い込まれた。
「ギギッ……!?」
先ほどまで猛威を振るっていた大蟻は、まるで雷に打たれたように全身を硬直させた。
次の瞬間、火花が散ったかのように目をぐるぐると回し、巨大な巨体を仰向けにしてひっくり返った。六本の足が空しくバタバタと動き、そのまま動かなくなる。
「よし、今のうちに、僕は帰っちゃおう」
冒険者たちが「えっ、何が起きたんだ!?」と呆然と立ち尽くしている隙に、リルドは気配を完全に消し、脇道を通ってその場を離れた。
夕方、オレンジ色の光が街を染める頃、リルドは再びギルドの扉をくぐった。
「ただいま。受付さん、依頼、ちゃんと終わったよ。側溝もピカピカにしておいたからね」
「おかえりなさい、リルドさん! 本当に早いわね、お疲れ様!」
リルドは窓口に完了報告の書類を出し、報酬の銅貨を受け取った。
その隣では、先ほどの冒険者たちが血相を変えて戻ってきて「信じられないことが起きたんだ!」と熱弁を振るっていたが、リルドはそれには一切関心を示さない。
「明日もいい天気だといいなぁ」
彼は満足そうに微笑むと、銅貨の入った袋を軽く鳴らし、夕飯の買い出しのために市場へと向かった。万年Fランク、リルド。
彼の最強すぎる日常は、今日も誰にも知られることなく、穏やかに過ぎていくのだった。




