第270話
翌朝、リルドは昨夜のハーブチキンの香りが染み付いた部屋で、ゆっくりとまどろみから覚めた。窓の外では、白い鳩が羽を整え、茶トラの猫が日向ぼっこをしながらリルドの起床を待っている。
「おはよう、ラッファード。今日はなんだか、空気がすごく透き通っている気がするよ」
『おはよう、リルド。お主が昨日神殿へ運んだ「月の雫」の影響かもしれんな。街の霊気が整っておる。……さて、今日もその清らかな体で、一仕事してくるか』
リルドは身支度を整え、愛用の我が家を後にした。
ギルドの扉を潜ると、そこにはいつもの熱気、そして新しい「味」への追求が渦巻いていた。
「おい、昨日のあのキッシュを焼いたのは誰だ! あの『ほうれん草とベーコンの黄金比』、あれこそが芸術だ!」
「いや、俺は今日の日替わり、『白身魚のムニエル・焦がしバターソース』に全てを賭けるね!」
冒険者たちがフォークを振るって議論する中、リルドは掲示板の隅で、少し風変わりな依頼を見つけた。
『「星の欠片」の磨き出し、および天文台への搬送』
「星の欠片……。昨日の月の雫といい、最近は空に関係する仕事が多いね」
受付へ向かうと、受付さんは嬉しそうに頷いた。
「リルドさん、これは空から降ってきたばかりの隕鉄を、魔法で丁寧に磨いて不純物を取り除く仕事です。繊細な魔力操作が必要なんですよ」
天文台の工房へ向かうと、そこにはゴツゴツとした、だが内側に銀河のような光を秘めた黒い石が置かれていた。リルドは「土魔法」と「水魔法」を微細に操り、石の表面を薄く、紙一枚の厚さで削り出していく。
『……リルド、そこだ。その亀裂の奥に一番強い光が眠っておる。……ほう、お主の指先が触れるたびに、石が星の記憶を取り戻していくようだな』
数時間の作業を終えると、石は眩いばかりの銀色に輝き、工房の天井に満天の星空を映し出した。リルドはそれを大切に布で包み、天文台の屋上へと運んだ。
納品を終えた帰り道。すっかり日も暮れ、空には本物の星々が瞬き始めていた。街道のベンチで休んでいた年老いた冒険者が、リルドが通りかかると鼻をひくつかせ、驚いたように目を見開いた。
「おい、若いの。……お前さん、星の匂いがするぞ。銀色の、冷たくて温かい、不思議な匂いだ」
「あ、さっきまで星の欠片を磨いていたので……。服に粉が付いちゃったのかな。えへへ」
リルドが少し照れながら頭を掻くと、微かな銀色の粉がキラキラと夜風に舞い、老冒険者は「……いいもんを見たな」と満足げに目を細めた。
夜のギルドに戻ると、館内にはまだ賑わいが残っていた。
「ただいま、受付さん。星の欠片、ピカピカにして届けてきたよ」
「おかえりなさい、リルドさん! 天文学者の方が『これほど曇りのないレンズの核は見たことがない』と大絶賛でした。はい、こちら報酬の銅貨です」
「ありがとう。……帰ろう、ラッファード」
『うむ。地の石を磨き、天の光を地上に繋ぐ。……今日のお主は、まさに「星を紡ぐ者」であったな。さあ、今夜はお主のその銀色の輝きが消えぬうちに、我が家の「料理神」に、星降る夜にふさわしい逸品を作ってもらおうではないか』
「(ふふ、わかったよ。今夜はキラキラした金平糖みたいな……じゃなくて、野菜のコンソメスープにしようかな)」
報酬の銅貨をチャリンと鳴らし、自らの肩に残る銀色の輝きを愛おしみながら、リルドは茜色の、そして今は星色の道を歩いていった。
万年Fランク冒険者の日常は、天の光を指先に宿しながら、今日も静かに、そして輝かしく更けていく。




