第265話
翌朝、リルドが目を覚ますと、窓の外では昨夜作家の先生が話していた「湯けむり」を彷彿とさせるような、深い朝霧が街を包んでいた。
「おはよう、ラッファード。霧で外が真っ白だね」
『うむ、おはようリルド。まるで昨日の密室トリックの続きのようだな。……おや、玄関先にまたあやつが来ているぞ』
扉を開けると、そこには先日もいたあの白い鳩が、今度は小さな手紙を足に結んで待っていた。手紙には『昨日はありがとう。おかげで完結したよ!』という作家からの短いお礼と、新作のサイン本引換券が添えられていた。
「よかった。本が出るのが楽しみだね」
ギルドに到着すると、食堂の冒険者たちは相変わらず食べ物の話で盛り上がっていた。
「なあ、あの小説家の新作、今度は温泉が舞台らしいぞ!」
「マジかよ。それより俺は、この鹿肉のベリーソース和えが今世紀最大の傑作だと思うね」
「いや、猪肉の赤ワイン煮込みこそが至高だ。あの濃厚なコクを知らずに人生は語れねぇ!」
そんな食欲旺盛な彼らを横目に、リルドは掲示板から今日の仕事を選んだ。
『霧で見えなくなった「案内灯」の清掃と再点火』
「今日はこの霧だもんね。みんなが道に迷わないようにしなきゃ」
街道に出ると、数メートル先も見えないほどの濃霧が立ち込めていた。リルドは「風魔法」で自分の周りだけ霧を払いながら、等間隔に設置された案内灯を一つひとつ回っていく。
『……リルド、その三番目の灯台だ。魔石が少し湿気っておる。お主の「火魔法」で、芯まで温めるように火を灯せ』
「うん。……それっ」
リルドが指先から小さな火花を飛ばすと、案内灯はボゥと温かなオレンジ色の光を放ち、周囲の霧を優しく押し返した。最後の灯を点け終えたとき、霧の向こうから「助かった、道が見えなくて困ってたんだ!」と商人の隊商が安堵の声を上げるのが聞こえた。
夕暮れ時、霧が晴れ始めた街を通り、リルドはギルドに戻った。
「ただいま、受付さん。案内灯、全部点けてきたよ。商さんの馬車も無事に通れたみたい」
「おかえりなさい、リルドさん! あなたが灯を灯してくれたおかげで、今日届くはずの物資が遅れずに済みました。影の立役者ですね。はい、こちら報酬の銅貨です」
「ありがとう。……帰ろう、ラッファード」
『うむ。霧を払い、迷える者に道を示す。……今日のお主は、まさに街を導く「灯火」そのものであった。さあ、今夜は引換券でもらったあの本を読みながら、ゆっくり過ごすとしよう。もちろん、お主の絶品料理を添えてな』
「(ふふ、そうだね。今夜は僕も奮発して、美味しい煮込み料理を作っちゃおうかな)」
報酬の銅貨をチャリンと鳴らし、自分が灯した光が遠くで瞬いているのを見守りながら、リルドは茜色の道を歩いていった。
万年Fランク冒険者の日常は、誰かの「行き先」を優しく照らしながら、今日も穏やかに更けていく。




