第259話
朝日が窓から差し込み、リルドは心地よい木の香りに包まれて目を覚ました。隣ではラッファードが、昨夜の抱き枕攻撃を免れた安堵からか、心なしか清々しい魔力を放っている。
『おはよう、リルド。今日は風が騒がしいな。お主の五感が試される一日になりそうだぞ』
「おはよう、ラッファード。本当だ、少し空気がぴりっとしてるね」
リルドは持ち家の玄関を出て、昨日いた猫に心の中で挨拶しながらギルドへと向かった。掲示板には、今のリルドにちょうどいい『街道沿いの危険な枯れ枝払い』の依頼が出ていた。放っておくと通行人に落ちて危ないため、地味だが重要な仕事だ。
依頼の場所へ着くと、リルドは身軽に木々を渡り、腐りかけた枝を丁寧に落としていった。
『……リルド、その一本だ。芯が強く残っておるが、表面が乾燥して鋭い。良い素材になるな。お主の小刀で少し整えておけ』
「そうだね、何かに使えるかも」
リルドは何気なく、落とした枝の一つを小刀で削り、バランスを整えて即席の投擲用の槍へと仕立てた。それは万年Fランクの彼が、日々の雑用の中で身につけた「道具を活かす」知恵の一つだった。
作業を終えた帰り道のことだ。
前方から中堅の冒険者が、顔を真っ青にしてこちらへ走ってきた。
「逃げろ! 街道に狂暴化したフォレストボアが出た! 警備隊が来るまでどうにもならねぇ!」
冒険者の背後、茂みの奥から凄まじい土煙が上がり、巨体な猪が牙を剥いて突進してくるのが見えた。このままでは逃げ遅れた冒険者が追いつかれる。
『リルド、今だ! お主が先ほど削ったその「枝」を使え!』
リルドは無意識に呼吸を整えた。腰を落とし、手元にある即席の木の槍を指先に馴染ませる。ターゲットは猪の眉間ではなく、その突進を逸らすための「前脚のわずかな隙間」。
「……えいっ!」
鋭い呼気と共に放たれた枝の槍は、風を切り、一直線に空を裂いた。狙い過たず猪の急所のわずか手前の地面を穿ち、強烈な衝撃波となって土を跳ね上げる。驚いた猪は体勢を崩し、街道を外れて森の奥へと転がっていった。
呆然とする冒険者をよそに、リルドは「あ、危なかったね」とだけ言い残し、足早に立ち去った。
夕暮れ時、リルドはいつも通りギルドの受付へ向かった。
「ただいま、受付さん。枝払いの依頼、終わったよ」
「おかえりなさい、リルドさん! ……あ、今さっき、街道で『謎の木の枝』に命を救われたっていう冒険者が駆け込んできたんですけど、何か知りませんか?」
「えっ? ……さあ、不思議なこともあるんだね。はい、これ報告書」
「ふふ、そうですね。はい、こちら報酬の銅貨です」
『……くっくっく。お主、あの一投、かつての英雄の投槍にも劣らぬ鋭さであったぞ。……まあ、当の本人は枝払いの延長だと思っておるようだがな』
「(もう、ラッファード、大げさだよ。さあ、帰って夕飯にしよう)」
報酬の銅貨をチャリンと鳴らし、沈みゆく夕日を背に、リルドは自分の家へと続く道を歩く。
万年Fランク冒険者の日常は、本人の預かり知らぬところで伝説のような一瞬を刻みながら、今日も穏やかに更けていく。




