第255話
翌朝、リルドは差し込む陽光の暖かさで目を覚ました。ラッファードは枕元で静かに佇んでおり、かつてのように「勇者がどうした」と豪快な声を上げることはない。ただ、リルドが身支度を整えるのを、鞘の中で柔らかな魔力を震わせながら見守っていた。
「おはよう、ラッファード。今日もいい天気になりそうだね」
『うむ、おはようリルド。窓から見える空が、お主の瞳のように澄んでおるな。……さあ、今日はどんな「何気ない一日」を刻みに行こうか』
ギルドの掲示板には、日常の綻びを直すような依頼が並んでいた。
『裏路地の街灯磨き』と『薬草園の苗木への水やり』。
受付へ行くと、受付さんは安心したように微笑んだ。
「おはようございます、リルドさん。最近、霧が出る夜が多くて街灯が曇ってしまっているんです。それと、薬草園の苗木たちが、リルドさんの優しい水を待っていますよ」
まずは、石畳が続く裏路地へ。リルドは昨日の風車の帆を張ったときのような軽やかな手つきで、高い位置にある街灯を一つひとつ丁寧に磨いていく。
『……リルド、その傘の裏だ。煤が溜まっておる。……よし、そこだ。お主が磨くたびに、夜を待つ光が喜びで震えておるのがわかるぞ』
午後からは、街の外れにある薬草園へ。リルドは「水魔法」で細かな霧を作り出し、幼い苗木たちが驚かないよう、優しく雨のように降らせていく。
かつてのラッファードなら、ここで「勇者が聖域の泉を守った話」などを始めたかもしれない。しかし、今の彼はただ、苗木たちが水を吸って葉を伸ばす小さな音に、じっと耳を傾けていた。
『……ほう。命が潤う音というのは、どの戦勝の凱歌よりも心に響くものだな』
「(うん。僕も、この音が一番落ち着くよ)」
作業を終えた帰り道。
路地裏を通ると、磨き上げたばかりの街灯に火が灯り始めていた。以前よりもずっと明るく、そして温かく道を照らしている。
通りがかった買い物帰りの女性が、「あら、今日は一段と明るいわね。助かるわ」とリルドに微笑みかけた。
『……リルドよ。お主が今日流した汗は、誰かの夜道を照らす光になり、誰かの傷を癒やす薬草の糧になった。……物語にするにはあまりに静かだが、これ以上に尊い仕事はあるまい』
夕暮れ時、リルドは清々しい気分でギルドへ戻った。
「ただいま、受付さん。街灯も苗木も、全部喜んでたよ」
「おかえりなさい! 警備隊の人たちが、路地が明るくなってパトロールがしやすくなったと喜んでいました。はい、こちら報酬の銅貨です」
「ありがとう。……帰ろう、ラッファード」
『うむ。光を整え、命を育む。……今夜は昔話など不要だ。お主の指先に残る、水の冷たさと街灯の温もりを、ただ大切に抱いて眠るとしよう』
「(ふふ、そうだね。おやすみ、ラッファード)」
報酬の銅貨をチャリンと鳴らし、自らが磨いた光に照らされながら、リルドは茜色の道を歩く。
万年Fランク冒険者の日常は、伝説を語る必要のない、確かな幸せを積み重ねながら、今日も静かに更けていく。




