第254話
翌朝、リルドは枕元のハーブが放つ穏やかな香りに包まれて目を覚ました。隣で静かに横たわるラッファードは、かつての戦場を語る勇者の剣としてではなく、今はただ、リルドの日常に寄り添う一振りの相棒としてそこにある。
「おはよう、ラッファード。今日はなんだか、すごく静かな朝だね」
『うむ、おはよう。お主の寝息があまりに穏やかだったのでな。過去の騒がしい物語を掘り返すよりも、今のこの静寂を壊さぬ方が良いと思ったのだよ』
ギルドへ向かうと、掲示板には春の陽だまりのような依頼が貼られていた。
『「日だまりの丘」の草むしり』と『風車小屋の帆の張り替え手伝い』。
受付へ向かうと、受付さんは「リルドさん、あそこの丘はもうすぐピクニックの季節なんです。風車も、新しい風を捕まえられるように綺麗にしてあげてくださいね」と、特製の軍手と丈夫な紐を貸してくれた。
まずは「日だまりの丘」へ。リルドは指先を土に馴染ませ、草の根を傷めないように、けれど手際よく雑草を整理していく。
『……リルド、その一角は残しておけ。そこには小さな虫たちが巣を作っておる。お主の魔力を少し土に混ぜてやれば、彼らも安心して春を越せるだろう』
午後からは、丘の上に立つ風車小屋へ。リルドは高い足場を軽やかに移動しながら、古くなった帆布を外し、真っ白な新しい帆を張っていく。彼が結び目を作るたびに、ラッファードが微かな共鳴音を出し、紐のゆるみを教えてくれた。
風が吹くと、新しい帆が「パンッ」と心地よい音を立てて膨らみ、風車がゆっくりと回り始めた。
作業を終えた帰り道。
丘の上から街を見下ろすと、昨日掃除した池がキラキラと光り、音楽学生たちが歩く姿が見えた。ラッファードは、かつての主の武勇伝を語りたがるのをすっかりやめ、今のリルドが見ている景色を、ただ一緒に眺めている。
『……リルド。お主が今日張った帆が、街に新しい風を送り込んでおるな。物語などなくとも、この風の音がすべてを語っておる』
「うん。僕も、今のこの風の音が一番好きだよ」
夕暮れ時、リルドは充実感と共にギルドへ戻った。
「ただいま、受付さん。丘も風車も、バッチリだよ」
「おかえりなさい、リルドさん! 風車が回り始めたのを見て、パン屋さんが『これで美味しい粉が挽ける』って喜んでいましたよ。はい、こちら報酬の銅貨です」
「ありがとう。……帰ろう、ラッファード」
『うむ。誰かの糧を作る手助けをし、春の訪れを告げる。……今日のお主は、街全体の「呼吸」を助ける優しい風であったな。今夜は、語り部は休業だ。この穏やかな一日の余韻を、ただ静かに噛みしめようではないか』
「(ふふ、賛成だよ。おやすみ、ラッファード)」
報酬の銅貨をチャリンと鳴らし、遠くで回り続ける風車の音を耳にしながら、リルドは茜色の道を歩く。
万年Fランク冒険者の日常は、過去の栄光を必要とせず、ただ目の前の平和を愛でながら、今日も静かに、そして豊かに更けていく。




