第246話
夕食後、農家のおじさんにもらった真っ赤な林檎を丁寧に剥き、一切れをラッファードの前に供えたリルド。瑞々しい香りが部屋に広がる中、ラッファードの語りが始まった。
『……さて、林檎といえば、我(勇者)がかつて足を踏み入れた「星降る果樹園」の話をせねばなるまい。そこには、一口食べれば千年の疲れが吹き飛ぶという伝説の「黄金林檎」が実ると言われていたのだ』
【回想:伝説の黄金林檎】
その果樹園は、険しい崖を越えた先の、精霊たちが守る聖域にあった。
我らは数々の試練を乗り越え、ついに中央にそびえ立つ巨木に辿り着いた。その枝先には、夕陽を凝縮したような眩い輝きを放つ、一個の黄金林檎が実っていた。
仲間たちは「これで世界を救う力が手に入る」と息を呑んだ。だが、木を守る守護精霊はこう問うた。
「この実を欲するならば、汝の『最も大切な記憶』を一つ差し出せ」と。
我は剣の柄を握りしめた。だが、ふと足元を見ると、そこには黄金ではない、ただの小さな、少し形の悪い「赤い林檎」が一つ落ちていたのだ。我は迷わずその赤い実を拾い、齧った。
「……甘いな」
その瞬間、聖域の幻影は消え、我らの前にはどこにでもあるような、けれど手入れの行き届いた美しい普通の果樹園が広がっていた。精霊は笑った。「欲に眼が眩まなかったのは、お前が初めてだ」とな。
実は、黄金の輝きは訪れる者の「欲」が見せた幻で、真の至宝は、その土地を愛し、大切に育てられた「当たり前の実り」の中にあったのだよ。
【回想終了】
『……結局、我は黄金の力など得られなかったが、あの時食べた赤い林檎の味は、どんな魔法の薬よりも我の心を癒やしてくれた。……今のこの林檎の香り、あの時のものとよく似ておるな』
リルドは最後の一切れを口に運び、幸せそうに目を細めた。
「そっか……。一番大切なのは、特別なものじゃなくて、誰かが心を込めて育ててくれたものなんだね」
『左様。お主が今日、汗を流して運んだ林檎も、誰かにとっては「黄金」に等しい価値があるのだ。……おっと、夜が更けてきたな』
「うん、いい話だった。ありがとう、ラッファード。……おやすみ」
『うむ……。お主の心が常にその赤き実のように純粋であることを。おやすみ、リルド』
窓の外では、果樹園を照らすような優しい月光が降り注いでいる。
万年Fランク冒険者の夜は、贅沢な伝説よりも温かい「今」の幸せを噛み締めながら、静かに、深く更けていく。




