239話
翌朝、リルドは昨夜の「空中都市の図書室」の壮大な物語を思い出しながら、少しだけ冒険心を躍らせてギルドの扉を開けた。
『おはようリルド。今日は昨日の修繕作業とはまた違った、お主の器用さが試される仕事があるようだな。ほれ、掲示板の隅の方だ』
「おはよう、ラッファード。あ、本当だ。……『裁縫できる人探してます』。冒険者の依頼としては珍しいね」
掲示板から剥がした依頼書を持って受付へ行くと、受付さんは少し申し訳なさそうに苦笑いした。
「あ、それですね。街の老舗の仕立屋さんが、急な大口注文が重なって、とにかく『針に糸を通すのが早くて、正確に縫える手』を探しているんです。地味な作業ですが、大丈夫ですか?」
「うん、裁縫は得意だよ。自分の服の繕いもいつも自分でやってるし。いってきます」
依頼場所である仕立屋へ向かうと、店内は山積みの布地と忙しく立ち働く職人たちで熱気に溢れていた。
「ギルドから来たのか? すまんが、この見本の通りに、この騎士団の儀礼服の裏地を縫い合わせてくれ。時間がなくて猫の手も借りたいんだ!」
リルドは作業台に座ると、すっと目を細めて精神を集中させた。
『……リルド、我が少しだけ刀身を冷やして、場の空気を落ち着かせてやろう。お主の指先が、流れる水の如く動くようにな』
「(ありがとう、ラッファード。……よし、いこう)」
リルドは迷いのない手つきで針に糸を通すと、まるで布の上を滑るように針を動かし始めた。その針目は驚くほど細かく、それでいて一定の美しさを保っている。一針一針に、着る人の無事を願うような「加護の魔力」が自然と宿っていく。
仕立屋の主人は、リルドのあまりの速さと正確さに、途中で手を止めて見惚れてしまった。
「……おいおい、ただの冒険者じゃないな。この縫い目、まるで魔法だ……いや、それ以上に『愛』がある」
数時間後、予定されていた以上の作業を完璧に終え、リルドは少し肩を回しながら店を出た。
『……ふむ。剣を振るうのも、針を振るうのも、本質は同じ。一点に心を込め、形を成すこと。今日のお主の指先は、かつての宮廷刺繍師すら凌駕しておったぞ』
「(あはは、褒めすぎだよ。でも、喜んでもらえてよかった)」
帰り道、夕陽に照らされた騎士団の詰め所を通りかかると、彼らが着る服のどこかに自分の縫った糸があるのだと思い、少しだけ誇らしい気持ちになった。
夕暮れ時、リルドは充実感と共にギルドへ戻った。
「ただいま、受付さん。仕立屋さんの手伝い、無事に終わったよ」
「おかえりなさい、リルドさん! たった今、店主さんから『あんなに腕の良い職人は見たことがない!』と興奮した連絡が入りましたよ。あまりの出来栄えに、特別に色をつけてくれました。はい、こちら報酬の銅貨です」
「ありがとう。……帰ろう、ラッファード」
『うむ。戦士の服を縫い、彼らの背中を支える。……今日のお主は、まさに「運命を紡ぐ者」であったな。さて、今夜は、かつて勇者がボロボロになったマントを自ら直しながら、旅を続けた時の……少しだけ人間臭い話をしようか』
「(ふふ、楽しみにしてるよ)」
報酬の銅貨をチャリンと鳴らし、指先に残る糸の感触を慈しむように、リルドは茜色の道を歩く。
万年Fランク冒険者の日常は、一針の糸に心を込めながら、今日も静かに、そして温かく更けていく。




