232話
翌朝、リルドは昨夜の奇妙な茶会の余韻を楽しみながら、少し早めにギルドの扉を開けた。
『おはようリルド。昨夜の我の武勇伝、お主の眠りの妨げにはならなかったかな?』
「おはよう、ラッファード。むしろ、すごく楽しい夢が見られそうだったよ。さて、今日はどんな仕事があるかな」
掲示板を端から眺めていたリルドの目が、一枚の少し特殊な依頼書で止まった。
『特定人物の素行調査』
「(素行調査……? 珍しい依頼だね。僕にできるかな)」
依頼書を剥がして受付へ持っていくと、受付さんは少し声を潜めて説明してくれた。
「あ、それですね。実は、街の外れにある古い屋敷に最近引っ越してきた学者が、夜な夜な怪しい光を放ちながら庭を歩き回っているという噂があるんです。近所の方が不安がっているので、単に何をしているのか、危険がないかだけを確認してきてほしいんです」
「なるほど、戦いじゃなくて『見守り』だね。わかった、いってきます」
リルドは指定された屋敷の近くまで行くと、気配を殺して様子を伺った。
『……リルド、あそこを見ろ。物陰から老人が出てきたぞ』
ラッファードの指摘通り、一人の老学者が手に奇妙な杖……ではなく、ただの大きな虫眼鏡とランタンを持って現れた。老人は地面を這いつくばるようにして、熱心に草むらを覗き込んでいる。
「(ラッファード、あの光……魔法じゃないみたいだね)」
『うむ。あれは……夜にだけ発光する珍しい苔を観察しておるようだな。時折放たれる強い光は、記録用の魔道具の反射光だ。害意も危険も、塵ほども感じられぬぞ』
リルドは数時間かけて、老人がただ熱心に苔の成長を記録し、時折嬉しそうに小躍りしているだけの平和な姿を確認した。
夕暮れ時、リルドは詳細をまとめた報告書を手にギルドに戻った。
「ただいま、受付さん。素行調査の結果だよ。あの学者の人は、ただ夜に光る苔を熱心に研究しているだけだった。近所の人を驚かせていたのは、記録道具の反射光みたいだよ」
「おかえりなさい! ……そうだったんですね。それを聞いて安心しました。近所の方々にも、正体を伝えて安心させてあげますね。正確な調査、ありがとうございました。はい、こちら報酬の銅貨です」
「ありがとう。……さあ、帰ろうか、ラッファード」
『うむ。不審者を装った熱心な学者であったか。世の中、蓋を開けてみれば平和なものよな。……さて、今夜は……』
「あ、ラッファード。今日は少し疲れちゃったから、昔話はまた今度にして、ゆっくり休んでもいいかな?」
『……。ふむ、そうだな。お主の目も少し眠たげだ。今夜は静かに、月の光でも愛でながら眠るとしよう』
報酬の銅貨をチャリンと鳴らし、リルドは穏やかな夜道へ踏み出した。
万年Fランク冒険者の日常は、街の小さな不安を「安心」に変えながら、今日も静かに更けていく。




