212話
エトス王国の朝は、どこか懐かしいパンの焼ける香りで始まった。
リルドは宿の窓を開け、異国の活気を少しだけ楽しんでから身支度を整える。
『リルドよ、よく眠れたようだな。昨夜の我が語った建国秘話の途中で、お主があまりに安らかな寝息を立てるものだから、我もつい語るのを忘れて見惚れて……いや、見守ってしまったぞ』
「……おはよう、ラッファード。おかげで疲れも取れたよ。さあ、馬車を返して街に帰ろうか」
帰りの馬車は、荷物がない分だけ軽やかだった。
行きで整えた「魔力の轍」が残っているため、馬も足取りが軽い。リルドは時折、道端に咲く珍しい花を眺めながら、のんびりと手綱を握る。
半日ほど揺られ、見慣れた街の門が見えてきた頃には、日は少し傾き始めていた。
ギルドに戻り、馬車を返却して受付へと向かう。
「ただいま、受付さん。エトス王国へ物資を届けてきたよ。向こうの人たち、すごく喜んでた」
「おかえりなさい、リルドさん! 無事に届けてくださって、本当にありがとうございます。エトス王国の担当者から、もう感謝の早馬が届いていますよ。『非常に丁寧な運搬だった』と大絶賛でした。はい、こちら報酬の銅貨です」
「ありがとう。……さて、帰ろうか、ラッファード」
ギルドを出ると、いつもの夕焼けが街をオレンジ色に染めていた。
特別な勲章も、ランクアップの兆しも何もない。けれど、ポケットの中の銅貨が、確かな「仕事の証」として心地よく響いている。
『リルドよ。派手な手柄はなくても、お主が通った道には笑顔が咲く。……そういうところが、我はお気に入りなのだ。さて、今夜は美味しいお茶でも淹れて、ゆっくりしようではないか』
「うん、そうだね」
万年Fランク冒険者の日常は、遠い国への小さな親切を終え、またいつもの平和な夜へと戻っていく。




