2話
翌日、リルドはいつものようにギルドの隅で、依頼ボードの最下段に貼られた「薬草採取」の依頼書を剥がした。
「おはよう、リルド。今日もそれかい?」
「おはようございます、マスター。ええ、この森の奥に生える『月見草』が、そろそろ良い時期だと思って」
ギルドマスターは苦笑しながら、彼を見送った。周囲の新人冒険者たちは「またあいつか」と鼻で笑うが、一部の熟練者だけは、リルドの歩き方に一切の無駄がないことを見抜いている。
森へ入ると、リルドはわざと獣道を外れ、静かな木漏れ日が差し込む場所を選んで歩いた。
「お、あったあった」
そこには、淡い光を放つ青い草が群生していた。リルドは腰を下ろし、土を傷つけないよう丁寧に一株ずつ根から掘り起こしていく。
その時、ガサリと茂みが揺れた。
現れたのは、昨日リルドに助けられたDランクの冒険者パーティーの一人、剣士の青年だった。彼はリルドを追いかけてきたらしく、肩を激しく上下させている。
「……やっぱり、あんた、ただのFランクじゃないだろ」
青年は真っ直ぐにリルドを見据えた。
「昨日のフォレストベアの一撃……あんなの、Sランクの剣聖だってできるかどうかだ。あんた、本当は何者なんだ?」
リルドは手を止め、困ったように眉を下げた。そして、手元にある一輪の月見草をそっと青年に見せた。
「僕はただのリルドだよ。それより見て。この草、夜に咲く花なんだけど、根っこがこんなに甘い香りがするんだ。これを知ることが、僕にとっては何よりの報酬なんだよ」
「そんなこと聞いてるんじゃなくて……!」
「君が求めている『強さ』は、きっともっと騒がしい場所にあると思う。でも僕は、この静かな森の音が好きなんだ」
リルドがふんわりと微笑むと、不思議と青年の殺気は削がれていった。リルドの周りだけ、空気の密度が違う。まるで森そのものが彼を守っているかのような、圧倒的な静寂。
「……あんた、損してると思わないのか? その力があれば、王宮騎士にだって、英雄にだってなれるのに」
「英雄になったら、こうして一日中石を眺めたり、薬草の香りを嗅いだりできなくなっちゃうじゃない。それは僕にとって、世界が滅びるより悲しいことなんだ」
リルドは籠を背負い、立ち上がった。
「さて、今日はもう十分。帰りに河原でお弁当を食べようかな。君も、あまり根を詰めすぎないでね」
ひらひらと手を振り、リルドは森の奥へと消えていく。残された青年は、ただ呆然とその背中を見送るしかなかった。
ギルドに戻れば、また「万年Fランク」と嘲笑される日常が待っている。
けれど、リルドにとっては、夕暮れに染まる街並みと、籠の中の薬草が放つ微かな香りがすべてだった。
その夜、彼は自宅の小さな窓辺に、今日拾った一番お気に入りの石を並べた。月明かりに照らされた石は、どんな宝石よりも優しくリルドの部屋を照らしていた。




