195話
朝、目覚めと共にラッファードの「点検」が始まる。
『リルドよ……今日の寝癖は左側に流れておるな。まるで風にそよぐ草原のようだ。お主のその無防備な鎖骨に、我の魔力をひとしずく落としてやりたい……』
「……おはよう、ラッファード。朝からポエミーなセクハラはやめて。あと、鎖骨がどうとか言わない」
いつものルーティンをこなし、リルドは身支度を整える。今日は特に大きな予定もない、ごく普通の冒険者の朝だ。
ギルドの扉を開けると、そこは相変わらずの日常が広がっていた。昨日ロック鳥を見たという噂話も、新しい流行の酒の話に上書きされつつある。リルドは「ふぅ」と安堵の息をつき、掲示板の前に立った。
『おいリルド、今日はどれだ? 我を抜く必要のない、腰に下げたまま終わるような仕事を選ぶのであろう?』
「(その通り。今日はこれ、『街の裏通りの溝さらい』と『共有倉庫の棚卸し』)」
剥がした依頼書を持って受付へ向かう。受付さんはリルドの顔を見て、穏やかに微笑んだ。
「おはようございます、リルドさん。今日は一段と『地味』なものを選ばれましたね」
「うん。こういう仕事が一番落ち着くんだ。誰に注目されることもないし、終わった後のスッキリ感が好きだから」
「ふふ、いってらっしゃい。リルドさんらしいです」
裏通りの溝さらいは、地道な作業だった。泥を掻き出し、流れを良くしていく。ラッファードは退屈そうにしながらも、時折的確な「鑑定」を飛ばしてくる。
『リルド、その泥の下に古い真鍮の指輪が落ちておるぞ。……ふん、落とし主にとっては宝物だったのかもしれんな』
「本当だ。あとで届け出しておこう」
続く倉庫の棚卸しも、リルドは「視野拡大」を使って、埃を被った備品の数を正確に数え上げていった。ミスもなく、迅速。目立たないが完璧な仕事ぶりだ。
夕暮れ時、リルドは泥を落としてギルドに戻った。
「ただいま、受付さん。全部終わったよ。あと、これ溝で見つけた指輪」
「おかえりなさい、リルドさん! 丁寧な棚卸し表、助かります。指輪も預かりますね。いつも通りの報酬、銅貨です」
「ありがとう」
ギルドを出ると、空は綺麗な茜色に染まっていた。特別なことは何もない。魔獣も出なければ、伝説の生き物も通らない。ただ、自分の仕事でほんの少しだけ街が整った。その実感がリルドには心地よかった。
『……リルドよ。お主が満足そうなら、我もそれで良しとしよう。……だが、今夜は我の鞘を磨く際、少しだけ「愛」を込めて撫で回してくれぬか?』
「(……最後のは無視するね)」
報酬の銅貨をチャリンと鳴らし、リルドは夕焼け道を歩く。
「さて、僕も今夜は、綺麗になった倉庫の棚を思い出しながら、ラッファードの『かつて勇者と過ごした、なんてことない平和な休日』の話でも聞いて、ゆっくり休もうかな」
万年Fランク冒険者の日常は、特筆すべき事件もないまま、穏やかな夜へと溶けていく。




