190話
ギルドの喧騒は今日も相変わらずだが、うさぎ君がいた頃に比べると、肩の上が少しだけ軽く、そして静かに感じられる。リルドは掲示板の前で、いつものように穏やかな依頼を選んだ。
「今日はこれにしよう。『薬草採取』と『瑪瑙の納品』。これなら森と河原を回ればすぐだね」
『ふむ、手堅いな。だがお主の「引き」の強さを考えれば、ただの散歩では終わらぬ気がするぞ』
依頼書を受付へ持っていき、受理を済ませて街の外へ。ラッファードのアドバイスを受けながら、質の良い薬草と、川底で鈍く光る瑪瑙を順調に採取していった。
帰り道、森の入り口付近まで来た時、一人の冒険者が顔を真っ青にしてこちらへ走ってきた。
「に、逃げろ! ラルヴァスネークが出た! あれは凶暴だ、手が付けられねえ!」
直後、茂みをなぎ倒して巨大なラルヴァスネークが姿を現す。しかし、その蛇もまた、鱗を逆立てて苦悶の表情を浮かべ、血相を変えてのたうち回っていた。
リルドは「聴覚向上」をさらに鋭く研ぎ澄ませ、蛇の心の声を聞こうと試みる。
(……痛い……お腹が、痛い……っ!)
「待って、戦う必要はないよ! ……ねえ、君、お腹が痛いの?」
リルドが歩み寄ると、蛇は動きを止めた。
『……リルドよ。こやつ、陣痛ではないか?』
「えっ!? ラッファード、わかるの?」
『勇者の時代、魔獣の出産など何度も見てきたからな。……おい、ラルヴァスネークとやら!』
蛇が驚いて鎌首をもたげる。
(……だ、誰……? 声が……頭の中に……)
『我だ。案ずるな。この声はお主と、このリルド、そして我にしか聞こえぬ。リルドよ、こやつはもう限界だぞ!』
「ラッファード、やっぱり陣痛なんだね。よし……!」
リルドは逃げ腰になっていた冒険者を呼び止め、真剣な眼差しで告げた。
「緊急連絡を! 今からラルヴァスネークの出産に立ち会うから、ギルドに言って専門家と必要な物資を連れてきてほしい! 早く!」
ほどなくして、ギルドの職員や魔獣研究者たちが、消毒薬や温かい布、魔力安定剤を抱えて駆けつけてきた。あまりの事態に誰もが呆然としていたが、リルドの落ち着いた指示に突き動かされる。
「じゃあ、ラルヴァスネークさん。僕が魔力で産道を促すから、ゆっくり息を吐いて……」
リルドは聖剣を通じて精緻な魔力を送り込み、蛇の腹部を優しく包み込んだ。
(……ああ……温かい……。出る、出るわ……!)
数分後、産声のような魔力の震動と共に、数匹の小さなラルヴァスネークが次々と誕生した。
出産を終え、すっかり穏やかになった母蛇は、感謝を込めてリルドの頬をそっとなめた。
(……ありがとう、優しい人間さん。おかげで皆、無事よ。……たまには、ラルヴァの里へも寄ってちょうだいね。歓迎するわ)
そう言い残すと、彼女は子供たちを連れて高度な転移魔法を使い、光の中に消えていった。
夕暮れ時、リルドは研究者たちに囲まれながらギルドへ戻った。
「ただいま、受付さん。薬草と瑪瑙、それに……出産のお手伝い、終わったよ」
「リルドさん! 話は聞いています。貴重なラルヴァスネークの出産に立ち会わせてくれて本当にありがとう、と研究者の皆さんが感激していましたよ!」
受付さんから、通常の依頼報酬に加えて、特別貢献賞としての銀貨が手渡された。
『ふん、お主の「お節介」もついに伝説の魔獣の出産にまで及んだか。……だが、あの蛇がお主に向けた信頼の眼差し、我も少しばかり誇らしかったぞ』
「あはは、ラッファードの助言がなかったら気づけなかったよ。ありがとう」
「さて、僕も今夜は、神秘的な命の誕生を思い出しながら、ラッファードの『かつて勇者と共に救った魔獣の子供たち』の話でも聞いて、ゆっくり休もうかな」
万年Fランク冒険者の日常は、魔獣の里との不思議な縁を繋ぎながら、銀貨の輝きと共に更けていく。




