189話
鳥のさえずりと共に、今朝も頭の中に直接響く声で目が覚める。
『……おい。いつまで寝ている。あの金色の馬にたぶらかされた夢でも見ておるのか?』
「……おはよう、ラッファード。たぶらかすなんて人聞きが悪いよ」
うさぎ君がいた頃の賑やかさとはまた違う、少し静かになった部屋で身支度を整える。玄関を出ると、金色の馬と出会ったせいか、心なしか身体が軽い気がした。
ギルドの扉を開けると、そこは相変わらずの「食」の戦場だった。
「いいか! 今日の気分はポークソテーだ! 脂身こそが正義!」
「チキンとビーフの決着もついてねえのに、豚まで参戦させるんじゃねえ!」
そんな怒号をBGMに、リルドは掲示板の前へ。数人の冒険者が「これだ!」と派手な討伐依頼を奪い合う中、リルドは掲示板の最下段、今にも剥がれ落ちそうになっていた『古びた井戸の底の清掃』という依頼書を手に取った。
受付へ持っていくと、受付さんは驚いたように目を瞬かせた。
「リルドさん、それは……もう数ヶ月も放置されていた依頼ですよ? 報酬も安いですし、何より気味が悪いって誰も近寄らなくて」
「放置されているなら、誰かがやらないとね。それに、昨日のルトナ鉱石の輝きが、なんだか僕に『暗い場所を照らしてあげて』って言ってる気がするんだ」
現場の古井戸に到着すると、辺りは不気味な静寂に包まれていた。
リルドは「視野拡大」を使い、ロープを伝ってゆっくりと底へ降りていく。
『ふむ……ここは古い地脈の結び目だな。マナが滞っておる。リルドよ、お主が昨日もらったあのルトナ鉱石を少し出してみろ』
言われるままに、懐から鉱石を取り出す。すると、暗闇だった井戸の底が、太陽のような柔らかな光で満たされた。そこには、数十年分の泥に埋もれた、小さな花の彫刻が施された石板があった。
「これ、きっと誰かの大切な忘れ物だ……」
リルドは丁寧に泥を掻き出し、井戸の底をピカピカに磨き上げた。淀んでいた魔力が、清らかな光と共に地上へ抜けていくのを感じる。
『……ほう。お主が掃除をするたびに、この地の「嘆き」が消えていく。掃除というより、これは浄化の儀式だな。全く、お主の手にかかれば泥すらも愛おしく見えるわ』
夕暮れ時、リルドは泥だらけになりながらも、清々しい顔でギルドへ戻った。
「ただいま、受付さん。井戸、綺麗にしてきたよ。あと、これ……底で見つけたんだけど」
リルドが石板を差し出すと、ギルドの隅でそれを見ていた老人が、震える手で歩み寄ってきた。
「それは……亡くなった妻が、昔うっかり落としてしまったと言っていた……。ああ、まさか、こんな形で戻ってくるとは……!」
依頼主だった老人の涙ながらの感謝を受け、リルドの胸も温かくなる。
「……良かったね、ラッファード」
『ふん。お主の「お節介」には我も呆れるが……まあ、その顔を見られるなら悪くはない。……さて、今夜は泥だらけの主を、我の念話で隅々まで「よしよし」してやるからな!』
「(それは結構です!)」
報酬の銅貨を握りしめ、リルドは夕焼けの中を歩く。
「さて、僕も今夜は、ルトナ鉱石の光に照らされた不思議な縁を思い出しながら、ラッファードの『かつて守れなかった大切な約束』の話でも聞いて、ゆっくり休もうかな」
万年Fランク冒険者の日常は、泥の中に眠る小さな思い出を掬い上げながら、どこまでも優しく更けていく。




