187話
深夜、リルドが安らかな寝息を立てている間、枕元の聖剣は静かに魔力を揺らしていた。
『(ふむ……。まつ毛が長いな。時折、眉を寄せるのは我の念話が夢にまで響いているからか? すまぬな、だがこの寝顔は我だけの特権よ……)』
朝の光が差し込み、リルドがゆっくりと目を開ける。
「……おはよう、ラッファード」
『おはようリルド。今日も世界一……いや、なんでもないぞ!』
『(やはりリルドは可愛い。この寝起きの無防備さ、いつ見ても飽きぬわ!)』
身支度を整え、玄関先へ。先日プランターで育て始めた御影草にじょうろで水をやる。瑞々しい葉が朝露を弾く中、どこからかあの白猫がやってきて、リルドの足元に体をすり寄せた。
「あはは、おはよ。お腹空いてるの?」
そこへ肩から飛び降りたうさぎも加わり、一人と二匹で「すりすり」の渋滞が起きる。そんな平和な光景を、背中の剣はどこか誇らしげに眺めていた。
ギルドの扉を開けると、そこは「この豚肉の脂の甘みときたら!」「このエールを飲まねえと一日が始まらねえ!」といった、食欲全開の喧騒に包まれていた。
掲示板の前で依頼を吟味するリルドに、ラッファードが少し拗ねたような声を出す。
『リルドよ……たまには我も、お主と一緒に派手に暴れたいぞ。お主のそのしなやかな体術と、我の魔術を合わせれば、大抵の魔境など散歩道ではないか』
「(もう、そんな物騒なこと言わないでよ……困っちゃうな)」
苦笑いしながら視線を動かしていたリルドの目が、一枚の奇妙な依頼書に留まった。
「(……変わった依頼だ)」
それは羊皮紙の端が少し焦げたような、不思議な質感をしていた。受付に持っていくと、受付さんは眉をひそめて声を潜める。
「リルドさん、その依頼は少し厄介ですよ。【マナの霧】という特殊な条件下でしかこなせない内容なんです」
「マナの霧……夕闇の丘でたまに発生する、魔力が飽和して視界が白濁する現象だね」
「はい。そこへ行き、霧が出ている時にのみ発生する【骸骨剣士】に話しかけてきてほしい、と。討伐依頼ではありません」
夕闇の丘へと続く道を歩きながら、ラッファードが懐かしそうに声を響かせた。
『マナの霧か……。昔、あの丘には大きな戦場があってな。マナが濃すぎるゆえに、未練を残した魂が形を成しやすいのだ。あの骸骨剣士とやらも、おそらくは……』
丘に着くと、辺りは急速に白い霧に包まれていった。視界が数メートル先も見えない中、カシャリ、カシャリと硬い音が響く。霧の向こうに、古びた鎧を纏った骸骨の剣士が立ち尽くしていた。
リルドは剣を抜かず、静かに問いかける。
「……依頼を受けて来ました。何か、伝えたいことがあるんですか?」
骸骨剣士は空洞の眼窩をリルドに向け、カタカタと顎を鳴らした。
『(……我が……主の……墓に……この花を……)』
差し出されたのは、霧の中でも枯れない幻影の花だった。
夕暮れ時、リルドは無事に伝言と供養を終え、ギルドへ戻った。
「ただいま、受付さん。骸骨剣士さん、ただ主のお墓を綺麗にして欲しかったみたいだよ。無事に報告も済ませてきた」
「お疲れ様です、リルドさん。骸骨と対話してくるなんて、あなたにしかできない仕事ですね」
報酬の銀貨を受け取り、リルドは「ふぅ」と大きく伸びをした。
『リルドよ……骸骨相手にも敬意を払うとは。やはりお主の魂は美しい。……さて、今夜は我の鞘も、あの御影草のように優しく拭いてはくれぬか?』
「(……最後のは余計だよ)」
「さて、僕も今夜は、霧の中に消えていった古い剣士の物語をラッファードから聞きながら、温かいスープでも飲んでゆっくり休もうかな」
万年Fランク冒険者の日常は、生者と死者の想いを繋ぎながら、静かに、けれど優しく更けていく。




