141話
翌朝、ギルドの扉を潜ると、そこには少しだけ落ち着かない空気が漂っていた。
僕は掲示板の前に立ち、幾つかの強引な討伐依頼の隣に、ひっそりと置かれていた古い依頼札を手に取った。
『広場の時計塔、歯車の油差しと異物除去』
「今日はこれにするよ、受付さん」
「おはようございます、リルドさん。ああ、あの時計塔ですね。最近、鐘の音が少しだけ重苦しいって近所の人たちが言っていたんです。高い場所ですから、足元に気をつけてくださいね」
「あはは、大丈夫。風通しが良い場所は好きだからね」
僕は受理印をもらうと、小さな油差しと磨き布を鞄に入れ、街の象徴である時計塔へと移動を開始した。
時計塔の内部に入り、仕事開始だ。
「視野拡大」で巨大な歯車の噛み合わせの微かなズレを見極め、「聴覚向上」でカチ、カチという刻み音の乱れを聞き取る。
力任せに直すことはしない。僕は狭い隙間に手を差し込み、詰まっていた小石や古い油の塊を丁寧に取り除いていく。自分の指先で、この街の「時間」を整えているような感覚が、なんとも心地よい。
「(……よし、これでまた軽やかに回れるはずだよ)」
最後に歯車の芯へ、一滴ずつ油を差していく。すると、それまで軋んでいた音が消え、滑らかな、透き通るようなリズムが塔内に響き始めた。
作業を終えて最上階の窓を開けると、そこには街を一望できる絶景が広がっていた。夕暮れに染まる屋根の波、楽しげに歩く人々の姿。しばらくその景色を眺めてから、僕は静かに螺旋階段を降り、帰り道についた。
ギルドに戻り、夕焼けがカウンターを照らす中で報告を済ませる。
「ただいま、受付さん。時計塔の整備、終わったよ。これでもう、重い音はしなくなると思うな」
「おかえりなさい! お疲れ様です、リルドさん。あ、本当だ! 今、ちょうど鐘が鳴りましたけど……すごく澄んだ、良い音になっていますね」
窓の外から聞こえてくる、街中に響き渡る鐘の音。それは以前よりもずっと軽やかで、明日への希望を告げているようだった。報酬の銅貨を受け取り、僕は満足感と共に背中を丸めた。
「さて、僕も今夜は、時を刻む正確なリズムを思い出しながら、温かいお粥でも食べてゆっくり休もうかな」
万年Fランク冒険者の日常は、街の時間をそっと正しい場所へ戻しながら、穏やかに更けていく。




