14話
リルドは腕の中のうさぎを少し持ち上げて、一緒に掲示板を眺めた。
「さて、今日はどれにしようか。君も何か気になるのはある?」
リルドが尋ねると、うさぎは長い耳をピコピコと動かし、掲示板の下の方に貼られた、少し端が丸まった依頼札を前足で「ぴっぴっ!」と叩いた。
「これ? ……ええと、『草原のゴブリンの集落に挨拶をしに行く』……? 変わった依頼だなぁ」
リルドはその奇妙な依頼書を剥がし、受付へと持っていった。
「おはよう、受付さん。これ、Fランクの依頼で合ってるかな?」
「おはよう、リルドさん。ええ、間違いなくFランクの依頼よ。内容は、ゴブリンの集落の長であるウッドさんに『今年もよろしく』と挨拶をしに行くだけ。平和な仕事でしょ?」
受付嬢は微笑みながら説明を続けた。
「実は、ウッドさんはゴブリンの中でも特別に話が通じる方でね。毎年、王国に『ノック』という伝統的なお酒を納めてくれているのよ。この依頼はその友好関係を維持するための大事な儀式なの」
「へぇ、お酒を作るゴブリンさんか。面白そうだね。よし、行ってきます」
リルドはうさぎを再び抱き上げ、のんびりと草原の奥へと歩き出した。
草原を抜け、大きな岩場に囲まれた場所にその集落はあった。
入り口では槍を持ったゴブリンたちが警戒していたが、リルドの穏やかな雰囲気と、腕の中のムーン・ラビットが放つ神聖な気配を感じ取ると、すぐに道を開けた。
「こんにちは。ギルドから挨拶に来ました」
集落の奥から現れたのは、立派な髭を蓄えた年老いたゴブリン、ウッドさんだった。
「おお、今年も使いが来たか。わざわざ済まんな」
「いえいえ。これ、ギルドからの預かりものです」
リルドが丁寧な手つきで挨拶の品を渡すと、ウッドさんは満足げに頷いた。
「感謝する。今年も良い『ノック』が仕上がりそうだと、皆に伝えてくれ」
任務はあっさりと完了した。リルドはウッドさんからお土産に不思議な木の実をもらい、またうさぎと鼻歌を歌いながら帰り道を歩き始める。
集落を出て少し歩いた頃、岩陰から激しい罵声と、何かが砕けるような音が響いてきた。
「くそっ! なんだこの数……! 囲まれたぞ!」
覗いてみると、Dランクの冒険者パーティーが、はぐれゴブリンの集団に囲まれて苦戦していた。集落の穏やかなゴブリンたちとは違い、彼らは凶暴な野良の個体だ。
冒険者たちは必死に剣を振るっているが、連携の取れた波状攻撃に防戦一方となっている。
「うーん……せっかくいい気分だったのに、物騒だなぁ」
リルドは困ったように呟いた。
うさぎも「ぴっ!」と、少し不機嫌そうに鼻を鳴らす。
リルドは一歩前に出ると、足元に転がっていた小さな小石を一つ拾い上げた。
そして、それを指先で軽く転がしながら、ゴブリンたちの集団に向けて、ほんの少しだけ「気」を放った。
それは、殺気ですらない。
ただ、「静かにしてね」という意思を込めただけの、凪のような圧力。
「……ッ!?」
次の瞬間、襲いかかろうとしていたゴブリンたちは、まるで氷水を浴びせられたかのようにその場で凍りついた。本能が「これ以上動けば消える」と警鐘を鳴らしたのだ。ゴブリンたちは一斉に蜘蛛の子を散らすように逃げ出していった。
「あ、逃げちゃった。……君たち、大丈夫?」
リルドがのんびりと声をかけると、冒険者たちは腰を抜かしたまま固まっていた。
「え……? 今、何が……。お前、何をしたんだ……?」
「何って、石を拾おうとしただけだよ。じゃあ、気をつけてね」
リルドはうさぎを撫でながら、何事もなかったかのようにその場を去っていった。
夕暮れ時、リルドはギルドに戻り、いつものように銅貨数枚の報酬を受け取った。
「お疲れ様。ウッドさん、お元気だった?」
「うん、とっても。お酒の出来も楽しみにしてほしいって言ってたよ」
リルドは満足そうに笑い、うさぎと一緒に夕焼けに染まる道を帰っていく。
今夜はウッドさんにもらった実を食べて、うさぎと一緒にお昼寝の続きをしよう。
万年Fランクの毎日は、今日もどこまでも平和で、心地よい。




