138話
翌朝、ギルドの喧騒をすり抜け、僕は掲示板の端にある二枚の依頼書を手に取った。
『北の丘の気象観測』と『聖なる泉の水質調査』。
「今日はこれにするよ、受付さん」
「おはようございます、リルドさん。地道な調査依頼ですね。最近天候が不安定ですから、助かります」
受理印をもらうと、僕はいつものように穏やかな足取りで街の外へ移動を開始した。
まずは北の丘に登り、仕事開始だ。
「視野拡大」で遠くの雲の動きを追い、「聴覚向上」で風の鳴り方から気圧の変化を読み取る。持参した古い観測器具を使い、一つずつ丁寧に記録していく。次に森の奥にある泉へ向かい、水の透明度や微かな匂いの変化を確認した。
魔法で一瞬で終わらせることはできないけれど、自分の五感で自然と向き合うこの時間は、僕にとって心地よいリズムだ。
「(……よし、これで今日の調査は完璧だね)」
全ての仕事を終え、夕暮れの森を通り帰り道についた時だった。
前方で、禍々しい闇の気圧を感じて僕は足を止めた。そこでは数人の冒険者が、一体のデーモンと対峙していた。
「くそっ、なんて速さだ! 攻撃が当たらねえ!」
デーモンは嘲笑うように冒険者たちを翻弄している。
僕はそっと物陰に隠れ、足元に落ちていたしなりの良い枝と、袋に入れていた弦を取り出した。即興で作った弓。そこに、真っ直ぐな枯れ枝を番える。
僕は静かに魔力を練り、枝の先に濃密な闇の魔術を収束させた。
「(いけ、……『ダークネスピック』)」
放たれた影の矢は、デーモンの足元にある「影」を正確に貫き、地面に縫い付けた。
「なっ……!? う、うごかん!? う、うごかんぞ!?」
突然自由を奪われ、狼狽えるデーモン。それを見た冒険者たちが、好機とばかりにニヤリと笑みを浮かべた。
「おい、理由は知らねえが動きが止まったぞ! 今だ、ボコボコにしてやる!」
一斉に叩き込まれる剣と魔法。僕は彼らが勝利を確信するのを見届けると、影に紛れてその場を去った。
宵闇が迫る頃、僕はいつものようにギルドのカウンターにいた。
「ただいま、受付さん。気象と水質のデータ、まとめてきたよ」
「おかえりなさい! お疲れ様です。……あ、今帰ってきたパーティが『デーモンを完封した』って自慢げに話していますよ。不思議なこともあるものですね」
「あはは、きっと彼らの実力だよ。運も実力のうちって言うしね」
報酬の銅貨を受け取り、僕は満足感と共に背筋を伸ばした。
「さて、僕も今夜は、穏やかな風の音を思い出しながら、温かいお茶を淹れてゆっくり休もうかな」
万年Fランク冒険者の日常は、密かに世界のバランスを整えながら、穏やかに更けていく。




