125話
翌朝、僕は少しだけ早めにギルドの扉を開けた。掲示板の前では、昨日逃げ帰ってきた若手パーティが「あの黒角熊、ありゃ化け物だぞ」と顔を青くして話し合っている。
僕はその輪の隙間から、まだ掲示板に残っていた討伐依頼の札をしっかりと手に取った。
「今日はこれにするよ。……今回は、まともに討伐しようかな」
受付に札を持っていくと、受付さんは「ええっ!?」と昨日以上の叫び声を上げた。
「リルドさん、昨日『もう出ない』って言ってたじゃないですか! それに、まともに討伐って……お一人で戦うつもりなんですか!? せめて誰かとパーティを……」
「あはは、大丈夫。ちょっとしたお散歩の続きだよ。受理、お願いできるかな?」
心配しすぎて顔を真っ赤にしている受付さんをなだめて、僕は受理印をもらうと、足早に森へと向かった。
森の奥、昨日僕が眠らせた場所の近くに、黒角熊はいた。深い眠りから覚めたばかりの巨体は、昨日の屈辱を覚えているのか、周囲の木々をなぎ倒して荒れ狂っている。
「(おやおや、まだ怒っているね。……よし、それじゃあ)」
僕は深く息を吸い込み、意識を切り替えた。
願って聖剣や魔杖を出すことはしない。僕はただ、そこら辺に転がっていた、重厚で硬い樫の木の倒木を一本、両手で持ち上げた。
「ガアアアアアッ!!」
僕を見つけた黒角熊が、角を突き出して弾丸のように突進してくる。
僕は「視野拡大」でその筋肉の動きを、突進の軌道をミリ単位で捉えた。
ドォォォォォン!!
轟音が響き渡る。
僕は正面から避けることなく、手にした倒木を振り抜いた。魔力による強化ではなく、ただ純粋な「呼吸」と「体軸の回転」、そして相手の勢いをそのまま跳ね返す技術。
丸太が熊の眉間に直撃し、凄まじい衝撃波が周囲の葉を散らした。
巨体は空中で一回転し、背中から地面に叩きつけられる。
「(……これで、終わりだね)」
僕は倒れ込んだ熊の首筋へ、最後の一撃として手首のスナップを利かせた拳を叩き込んだ。ドスッ、という重い音が響き、黒角熊はピクリとも動かなくなった。
僕は慣れた手つきで「解体」の作業に入った。願えば最高級のナイフが出てくるかもしれないけれど、僕は自分の手で、この命を糧に変える工程を丁寧に行う。
夕刻、僕は巨大な黒角熊の角と、丁寧に切り分けられた肉の塊を背負ってギルドに戻った。
「ただいま、受付さん。……ふぅ、今回はちゃんと討伐してきたよ」
ドォン、とカウンターに置かれた漆黒の角を見て、ギルド内が水を打ったように静まり返った。昨日まであの熊に怯えていた冒険者たちが、信じられないものを見る目で僕を凝視している。
「お、おかえりなさい……。リルドさん、本当に一人で……それも、怪我一つなく……」
「あはは、運が良かっただけだよ。はい、完了報告。このお肉、みんなで分けて食べてね」
僕は驚愕に包まれるギルドを後目に、報酬の金貨を受け取った。
「さて、僕も今夜は、まともに動いてお腹が空いたから、大きなステーキでも焼いてゆっくり休もうかな」
万年Fランク冒険者の日常は、たまには本気を見せつつも、やっぱり穏やかに更けていく。




