108話
朝の空はどんよりとした曇り空で、窓を叩く微かな雨音が、今日が静かな一日になることを予感させていた。
「(雨のお散歩も悪くないけれど、今日はのんびり屋内で過ごそうかな)」
リルドはそんなことを考えながら、湿り気を帯びた空気の中をギルドへと向かった。
ギルドの掲示板を眺めると、いつもとは少し毛色の違う依頼札が目に留まる。
『受付業務の代理(緊急につき急募)』
「あはは、今日はこれに決めた」
リルドがその札をカウンターへ持っていくと、いつもの受付嬢が目を丸くして驚いた。
「ええ!? リルドさんが、やってくれるんですか?」
「うん、いいよ。外は雨だし、今日はお手伝いさせてもらうね」
「わあ、助かります! 急に風邪で欠勤が出てしまって困っていたんです。では、本日はよろしくお願いします!」
リルドはカウンターの内側に入り、丁寧な手つきで書類を整理し始めた。エプロンを締めた彼の姿は、まるで昔からそこにいたかのように様になっている。
「はい、お疲れ様です。受付はこちらですよ」
穏やかな微笑みで冒険者たちを捌いていくリルド。しかし、彼がそこに立っているというだけで、ギルド内の空気はいつも以上に浮ついていた。
「なあ、君……」
一人の冒険者が、依頼書を出すふりをしてリルドの手首をガシッと掴んだ。
「君の瞳は、まるで雨上がりの宝石のように……」
リルドは掴まれた手首を、かつての武術の要領でスルリと外し、至近距離で完璧な営業スマイルを向けた。
「そういうのいいんで、さっさと依頼書出しやがれ(にこにこ)」
「……っ、はい」
男はリルドの瞳の奥に潜む「本物の圧力」に気圧され、震える手で依頼書を差し出した。
しばらくすると、別の軟派な冒険者がカウンターに肘をつき、馴れ馴れしく話しかけてきた。
「よお、リルド。このあと昼飯でもどうだ? いい店を知って――」
「お前みたいなやつに、僕の大切な時間は使いたくない。……働いてこい(にこにこ)」
「……はい、行ってきます」
男はまるで高名な騎士に叱責された新兵のような顔で、慌てて掲示板へと走っていった。
それを見ていた他の冒険者たちは、「怒鳴るわけでもないのに、あの笑顔のまま毒を吐くリルドさん……たまらん……」と、あらぬ方向へ盛り上がりを見せていた。
夕刻、雨が上がり、雲の間から夕陽が差し込み始めた頃。本来の受付嬢たちが戻ってくると、リルドは手際よく集計した書類をまとめた。
「お疲れ様。なんとか無事に終わったよ」
「ありがとうございます、リルドさん! ……あれ、なんだか今日、いつもより依頼の達成率がものすごく高い気がします。みんな必死な顔で出かけていきましたけど、何か言ったんですか?」
「あはは、ただ『働いてこい』って励ましてあげただけだよ」
リルドは報酬を受け取ると、心地よい疲れを感じながらギルドを後にした。
「さて、僕も今夜は、立ち仕事で使った足を休めながら、甘いお菓子でも食べてゆっくりしようかな」
万年Fランク冒険者の日常は、カウンターの内側からギルドの規律を(物理的・精神的に)正しながら、穏やかに更けていく。




