102話
自宅に戻ったリルドは、暖炉の前の椅子に深く腰掛け、本棚から一冊の小説を手に取った。
表紙には凛とした文字で『麗しの雫』と題されている。彼はその表紙を優しく撫で、冒頭のページを捲った。
『麗しの雫』冒頭
――空は、燃えるような蒼だった。
天から舞い降りた羽衣が、夕刻の紫煙に溶けていく。私はその輝きを永遠に留めたいと願った。だが、私の手に握られていたのは、運命を切り裂く乾坤一擲の剣。
「行かないで」という叫びは、蒼炎なる瞳に映る涙と共に、静かに砕け散った……。
リルドは本を閉じ、静かに息を吐いた。
「(あの老人は、まだ光を失う前……最愛の人の姿がはっきりと見えていた頃に、この物語を書き始めたんだね。あの一文一文が、彼が見ていた最後の景色だったんだ……)」
切なくも温かい読後感を胸に、リルドはその夜、穏やかな眠りについた。
翌朝、ギルドの掲示板の前には、昨日持ち帰った『麗しの雫(結晶)』の噂でもちきりの冒険者たちが集まっていた。リルドはそんな喧騒から少し離れ、いつものように自分のペースで依頼を探す。
「今日は……これとこれにしようかな」
リルドが剥がしたのは、『薬草採取』と『紅石の納品』の二枚だった。
「おはよう、受付さん。今日はこの二つをお願いするよ」
「おはようございます、リルドさん! はい、受理いたしますね。あ、その『紅石の納品』ですが、依頼主さんによると『必ずしも採掘してこなくても、鉱石ショップでの購入・利用でも構わない』とのことですよ。お急ぎなら、市場を覗いてみてください」
「わかったよ、教えてくれてありがとう。お散歩がてら見て回るね」
リルドはまず森へ向かい、午前中の涼しい空気の中で手際よく薬草を摘んだ。
その後、街の市場にある馴染みの鉱石ショップへと足を運ぶ。
「やあ、店主さん。綺麗な紅石はあるかな?」
「おう、リルドか! 今日はいいのが入ってるぜ。ほら、この夕焼けみたいな色をしたやつだ」
店主が出してきた紅石は、昨日の蒼い雫とは対照的に、力強く燃えるような赤色をしていた。リルドは「鑑定」でその品質が依頼に十分であることを確認し、それを買い取った。
夕刻、リルドは薬草と紅石を携えてギルドへ戻った。
「ただいま、受付さん。薬草と、紅石を持ってきたよ。お店でいい石が見つかったんだ」
「おかえりなさい! お疲れ様です。……わあ、本当に綺麗な紅石ですね。これなら依頼主さんも大喜びですよ」
受付嬢が笑顔で報酬の銅貨を並べてくれる。
「あはは、お買い物のお散歩もたまにはいいね。新しい石の輝きを見られて楽しかったよ」
リルドは報酬を受け取ると、満足げに微笑んでギルドを後にした。
「さて、僕も今夜は、あの紅石のような温かい色をした紅茶でも淹れて、ゆっくり本の世界に浸ろうかな」
万年Fランク冒険者の日常は、物語の余韻を大切に抱きしめながら、穏やかに更けていく。




