サヨナラの勇者
奈落の王国――魔王の間。
砕けた床、焼け焦げた壁、散乱する血
そこに立っているのは、ただ一人。
魔王グラーフ=ネフェル。
その足元に、倒れ伏す六人
ニーナは膝をつき、杖を支えにしてようやく立っている状態だった。
サンは矢を握ったまま動かず、肩で荒く息をしている。
ヴィヴィは壁に叩きつけられ、意識はあるが立ち上がれない。
リーは床に伏し、魔力を使い果たしたように動かない。
ショウコの影は消え、本人も血を流しながら倒れていた。
そして――
ノーザは、動かない。
魔王はゆっくりと歩き出す。
「終わりだ」
その声には、怒りも、興奮もなかった。
ただ事実を告げるだけの、冷たい響き。
「貴様らは強かった。だが、それだけだ」
ニーナが歯を食いしばる。
「……まだ……終わってません……!」
魔王は足を止め、彼女を見下ろす。
「ほう?」
ニーナの視線は、倒れたノーザに向けられていた。
「ノーザ様は……まだ……」
魔王は鼻で笑った。
「死んでいないだけだ。勇者は、もういない」
その瞬間。
城全体が、魔王の魔力で軋んだ。
圧倒的な存在感。
圧倒的な力。
圧倒的な“格”。
誰もが理解していた。
――ここで終わるのかもしれない、と。
サンが小さく呟く。
「……嘘やろ……」
ヴィヴィは拳を握り締めた。
「……こんな終わり方……」
ショウコの唇がわずかに動く。
「…私達の…世界、が……」
リーの指先が、かすかに震えた。
そして――
魔王がノーザの前に立つ。
「眠ったまま死ぬがいい、ノーザン・クレイン」
魔王の手に、闇が集まる。
放たれれば、確実に終わる一撃。
ノーザの意識の奥。
暗闇の中で、ひとつの光が揺れていた。
「ノーザ…!」
「……リコ……?」
振り返った瞬間、そこに立っていたのは、
かつて自ら手を下した仲間。
「やっと気付いたか、早く起きないと」
ノーザは目を伏せる。
「……でも……起きても意味がない……
勝てないかもしれない……」
リコの表情が、わずかに歪んだ。
「……君に説教する資格なんて、僕にはない」
リコの手の中に、淡い光を放つオーブが現れる。
「それは……?」
「こんな事で償えるとは思ってない…でも!!」
リコは歩み寄り、そのオーブをノーザの胸に押し当てた。
スキルインクリード
光が弾ける。
ノーザの身体に、熱が流れ込む。
「これは……!!」
リコの声が、はっきりと響いた。
「君は拒否なんかされていないニルヴァーナは、
君を否定したんじゃない」
「……じゃあ、何が……」
リコは静かに言った。
「君は“自分を選べていなかった”だけだ」
「……!」
「仲間のため、世界のため、人類のため」
「それは立派だ。でも――」
リコの視線が、真っ直ぐノーザを射抜く。
「君は、自分のために剣を振るった事がなかった」
ノーザの視界が、光で満ちていく。
「行け…君は、もう選ばれている」
暗闇の中で、光が弾けた。
胸の奥で、何かが目を覚ます。
「……行け」
その声が消えた瞬間、世界が反転する。
崩れた玉座の間。
瓦礫の中に倒れ伏す仲間たち。
空間を支配する圧倒的な魔力。
その中心に立つ影。
「……まだ息があるか」
冷たい声が響く。
次の瞬間――
床に倒れていた身体が、静かに起き上がった。
空気が変わる。
魔王の視線が、わずかに細められた。
「……ほう」
立ち上がった男の背に、淡い光が宿っている。
握られた剣が、低く鳴った。
ニルヴァーナが、今までとは違う輝きを放っていた。
剣を握るノーザの唇から、かすれた声が漏れる。
「……悪い。ちょっと、考え事してた」
仲間たちが驚いたように目を見開く。
「ノーザ様……?」
「大丈夫だ」
そう言って、剣を握る手に力を込めた。
その瞳に、もはや迷いはない。
「今度は、ちゃんと斬れる」
魔王が、ゆっくりと笑う。
「剣の気配が変わったな。だが、それで何が変わる?」
一歩、前へ。
掲げられた刃に映るのは、正義でも使命でもない。
ただ、ひとりの男の意志だけだった。
「変わるさ」
短く、しかし確かな言葉。
「俺が、決めたからな」
ニルヴァーナが、強く光った。
剣が、風を裂いた。
二刀が描く軌跡は、もはや技術ではなく意思だった。
振るわれるたびに、空間が軋む。
刃に宿る光が、今までとはまるで違う。
六道斬り 六ノ型
「地獄八景阿鼻落とし」
踏み込みと同時に、連撃。
剣が交錯するたび、魔王の防御が削られていく。
「……ほう」
低く唸る声。
しかし、その声には確かな苛立ちが混じっていた。
「戦槍脚」
踏み抜いた地面が砕ける。
空を裂く一撃が、魔王の肩を貫いた。
「ぐ……!」
初めて、はっきりとした衝撃。
玉座の間に、重い音が響く。
倒れていた仲間たちが、その光景を見上げる。
剣に宿った光の質が、明らかに変わっていた。
「……通ってる……さっきとは、違う……」
ノーザの剣を握る手に、迷いはない。
激情でもない。
そこにあるのは、ただ静かな確信だった。
「どうした?さっきまで余裕だったんだろ」
一歩、踏み出す。
魔王の目が細くなる。
「……小賢しい」
魔力が、爆発的に膨れ上がった。
空間が歪み、重力が狂う。
世界そのものが、魔王の意思に引き裂かれていく。
「勘違いするな」
低く、冷たい声。
「貴様が強くなったのではない」
ゆっくりと向けられる指先。
「“ようやく殺す価値が生まれた”だけだ」
次の瞬間――
大気が、弾けた。
崩れ落ちた仲間たち。
砕けた床。
魔王の玉座の前で、時間だけが残酷に流れていた。
「……まだ、終わりではない」
声が、空間を裂いた。
光が走る。
「転移魔法 ミグラトリーバード」
眩い魔法陣。
そこから現れたのは、かつて共に戦った影。
「……お前らは……!?」
驚愕の声。
「ラークナイツ……!」
風を裂き、魔王を睨む集団
その先頭に立つ男、騎士団長 アルベルト
淡い光が広がり、倒れた者たちを包む。
「我々だけではない」
その言葉と同時に、さらに巨大な魔法陣が展開された。
「転移魔法 フルムーン・コリドー」
満月のような円環。
その中心から、ひとりの剣士が歩み出る。
黒衣の女魔剣士。
「カーミラ…!」
静かで、しかし揺るぎない眼差し。
「友の命……剣士の誉を……尽くそう」
剣が鳴る。
空気が、変わった。
突如現れた援軍に助け起こされる
床に伏していた身体に、再び力が戻る。
立ち上げるノーザの仲間達
「……っ動く……!」
痛みが消えたわけじゃない。
だが、“立つ理由”が戻ってきた。
「……ノーザ様……まだ……終わってませんね……」
「みんな……」
笑う者がいる。
震える膝を、無理やり伸ばす者がいる。
そして――
玉座の上で、魔王がゆっくりと立ち上がる。
「……面白い」
その声は、怒りではない。
純粋な興味。
「貴様ら……本当に、愚かだ」
しかし。
その愚かさこそが、勇者の本質だった。
剣が握られる。
影が蠢く。
翼が広がる。
魔剣が月光を反射する。
そして。
倒れていたはずの男が、再び前に出た。
「……まだ、終わってない」
その声は、静かだった。
だが、確かに世界を震わせていた。
大地が震える。
空気が裂ける。
光の柱が、幾重にも立ち上がった。
カーミラが魔王の浅はかさを嘲笑う
「……わからないか……?」
アルベルトの静かな声が、戦場に落ちる。
「貴様こそ……勝てぬぞ……」
「……来たか」
低く、落ち着いた声。
アルベルトが視線を向ける
次の瞬間――新たな転移魔法の気配
波のように広がる陣列。
統制された足並み。
乱れのない隊形。
それは群衆ではない。
戦場を知り尽くした“軍”だった。
ラークナイツ精鋭連隊。
約七百。
先頭に立つ騎士たちは、剣を抜かない。
走らない。叫ばない。
ただ、静かに進軍する。
その無言の行軍が、
何よりも雄弁だった。
「遅参、失礼する」
アルベルトの声が、戦場に響く。
「だが――ここからは、我々の戦場だ」
その瞬間、空気が変わった。
更に、別の転移魔力が発生した
かつて、ノーザと共に中継拠点を築いた者たちがいた。
剣を握った者も、鍬を持った者も、逃げ場を探していた者も。
名もなき冒険者たち――約三百。
「ノーザ!!」
荒れた戦場に、ひとつの声が突き刺さる。
「ノーザ来たぞ!!」
次の瞬間、空間が歪んだ。
光が裂け、次々と人影が溢れ出す。
剣士、槍兵、弓手、魔術師。
鎧も揃っていない。装備も統一されていない。
だが――その目だけは、ひとつだった。
「今度こそ、間に合ったぞ」
「借り、返しに来た」
「置いていくなよ、英雄」
戦場の空気が変わる。
「……あんな人数を、どうやって?」
ヴィヴィの声がわずかに震えた。
「転移……? そんな規模……」
ニーナが言葉を失う。
その答えは、ひとつしかない。
――あの時、遺跡で発見した古代の転移装置。
ノーザが、仲間たちと共に起動させた“道”。
それが今、世界を越えて開かれていた。
そして、名もなき冒険者たちは叫ぶ。
「行くぞ!!」
「ノーザの背中、見失うな!!」
その瞬間、彼らはもう“モブ”ではなかった。
ノーザの旅が生んだ、もう一つの軍勢だった。
空間が、再び歪んだ。
次々と現れる転移の光。
しかし、そこから現れたのは騎士でも、魔法使いでもない。
武装した――かつて怯えていた町民。
「ノーザさん!!」
掠れた声。
だが、そこに迷いはない。
「俺たちも――一緒に戦わせて下さい!!」
誰かが叫び、誰かが拳を握り締める。
彼らの手に握られているのは、
王から授けられた剣でも、伝説の武器でもない。
サーベル、スピア、メイス、グレイブ
だが――それらは確かに、ノーザが託した武器だった。
かつて怯えていた手。
逃げることしか知らなかった背中。
守られるだけだった町の人間たち。
今は違う。
彼らは、自分の足で立っていた。
ヴィヴィが、思わず呟く。
「……あーし達、こんな連中まで作ってたのかい」
ニーナは、言葉を失ったまま、その光景を見つめる。
ノーザは、ただ一言だけ答えた。
「……仲間だ」
その瞬間、戦場の意味が変わった。
これはもう、勇者の戦いではない。
“人間の戦い”だった。
ヴァルケン自警団、約百二十。
空から、翼が舞い降りる
「皆!!」
その声に、ノーザが気付いた
カーミラが明かす
「ミネルが、我々を呼び集めてくれたのだ」
誇らしげな声。
鳥人部隊。
約百。
翼が並び、空を覆う。
風が、味方になる。
集まった人数。
千二百。
それは軍勢ではない。
国家でもない。
王の命令でもない。
ただ一つの名前に集まった者たち。
その光景を見て、魔王が笑う。
「……愚かだ」
魔王の背後で、闇がうねる。
魔族兵。
無数。
大地から湧き出る黒い影。
空を覆う異形の翼。
「来い」
魔王の声。
戦場が、完全に二つに分かれた。
人間。
魔族。
そして――
前に出た影。
剣を握る手。
もう震えていない。
「……行くぞ」
静かな声。
しかし、全員に届く声。
「今度こそ……終わらせる」
剣が掲げられる。
影が伸びる。
翼が広がる。
魔剣が光る。
槍が並ぶ。
弓が引かれる。
魔法が詠唱される。
そして。
世界が、叫んだ。
「進めええええええええ!!!!」
大地が割れ、闇が溢れた。
魔王の軍勢は、もはや軍ではなかった。
それは災厄だった。
無数の影、牙、翼、咆哮。
人類の歴史が何度も恐れてきた“終焉”そのもの。
しかし――
人間たちは退かなかった。
「行けえええええ!!」
誰の号令でもない。
ただ、自分の声だった。
剣を握る手は震えていた。
だが、足は止まらなかった。
魔族の爪が迫る。
槍が折れる。
盾が砕ける。
「……まだだ!」
倒れた仲間の肩を掴み、引きずり起こす。
「立て! 死ぬのはまだ早い!」
血まみれの顔で笑う。
「約束しただろ……あの町を守るって!」
魔族の巨体が迫る。
自警団の若者が、槍を構えた。
「怖ぇよ……!」
声が震える。
「でも……逃げたら……もう何も残らねぇだろ!」
突撃。
槍が折れる。
身体が吹き飛ぶ。
それでも――
「行けえええええ!!」
背後から矢が飛ぶ。
火球が落ちる。
魔族の巨体が崩れ落ちる。
「やったぞ!」
誰かが叫ぶ。
だが、次の瞬間。
別の魔族が襲いかかる。
剣を振るう男。
弓を引く少女。
魔法を唱える老人。
誰もが、英雄ではない。
ただの人間だった。
「……ノーザさんは、前に行ってるんだぞ!」
叫び声が響く。
「俺たちがここで止まったら……あの人に顔向けできねぇだろ!!」
魔族の群れに飲み込まれながらも、刃を振るう。
「俺たちは……勇者じゃねぇ!」
血を吐きながら、立ち上がる。
「でもな……勇者の背中くらい……守れるだろ!!」
砕けた盾を拾い直す。
「行け!!」
「押し返せ!!」
「一歩も退くな!!」
戦場の至る所で、同じ光景が生まれていた。
恐怖。
絶望。
それでも――
踏みとどまる意志。
誰かが倒れれば、誰かが立つ。
誰かが逃げそうになれば、誰かが肩を掴む。
「生き残れ!」
「生きろ!」
「次の朝を見ろ!!」
魔族の牙が突き刺さる。
血が飛ぶ。
悲鳴が上がる。
それでも――
剣は落ちなかった。
弓は折れなかった。
声は途切れなかった。
戦場の奥。
炎と雷の向こう。
誰かが見ている。
「……見てろよ」
息も絶え絶えの男が、空を睨む。
「あんたが作った世界なんか……認めねぇからな……」
そして、最後の力で剣を振るった。
崩れかけた戦線の奥で、誰かが叫んだ。
「行け!!」
砕けた盾を握り直した騎士が、背中を押すように叫ぶ。
魔族の群れを斬り伏せながら、血に染まった剣を振るう。
「ここは俺たちが食い止める!」
ヴィヴィが、一歩前に出る。
その瞳に迷いはない。
「征け……」
「ノーザ殿…」
日ノ本の寺の境内…祈りのような視線が、
見えない空の向こうから注がれていた。
(人類の未来……)
さらに遠く、もっと小さな場所。
かつての村で、スミ夜空を見上げていた。
(ノーザ……)
その声は届かない。
だが、確かに存在している。
――そして。
戦場の中心で、ひとりの男が立ち上がった。
砕けた大地の上。
炎と雷と血の匂いの中。
仲間が倒れ、敵が迫り、世界が崩れかけるその場所で――
ただ一人、前を見ていた。
剣を握る指に力が戻る。
肺に空気が満ちる。
鼓動が、はっきりと響く。
「行けえええええ!!」
声が重なる。
祈りが重なる。
意志が重なる。
――走り出した。
剣と剣を携えた、ひとりの男が。
ノーザン・クレインが。
魔王へ向かって。
光が走った。
天と地を裂き、奈落の王国の闇を押し分ける一本の道。
それは剣ではない。
意思そのものだった。
放たれた光の道を踏みしめ、影が疾走する。
「うおおおおおお!!」
砕けた大地を蹴り、炎を踏み越え、雷を引き裂きながら突進する。
二振りの剣が、同時に輝いた。
玉座から立ち上がった存在が、嗤う。
「ナメるなぁぁぁぁ!!」
闇が爆発する。
魔力の奔流が、空間そのものを歪ませた。
しかし止まらない。
構えられた二刀が、交差する。
六道斬り 五ノ型 餓鬼道 千手観音
世界が震えた。
無数の斬撃が、現実を塗り替える。
数ではない。
意思の密度だった。
千手二十八部蓮華王
刃が刃を生み、刃が刃を喰らい、刃が刃を超える。
闇の王の半身が裂けた。
血が宙を舞い、黒い魔力が崩れ落ちる。
「……!」
初めて、その表情が歪む。
だが、次の瞬間。
空間が凍った。
裂けた半身から、あり得ないほど濃密な闇が溢れ出す。
それは傷ではなく、罠だった。
「甘い」
振り上げられたのは“手刀”
神を切り裂くために鍛えられた、魔王の一撃。
光の道を逆流するように、闇が迫る。
「……!」
瞬間、反応はした。
だが間に合わない。
衝撃が走った。
骨が砕ける音が、戦場に響く。
ノーザの左腕が、あり得ない方向に折れ曲がった。
血が噴き上がる。
大地に叩きつけられながらも、膝は折れない。
息が荒れる。
視界が揺れる。
それでも、剣は落ちない。
闇の王が、静かに歩み寄る。
「勇者気取りが……この程度か」
崩れかけた光の道の上で、折れた腕を抱えながら立ち続ける影。
その背後で、仲間の叫びが重なった。
「やめろ!!」
「戻れ!!」
「死ぬぞ!!」
だが、振り返らない。
折れた腕から血を滴らせながら、もう一方の剣を握り直す。
歯を食いしばる。
呼吸を整える。
そして、静かに言った。
「……まだだ」
奈落が、ざわめいた。
砕けた左腕から血が滴る。
六道は、もう握れない。
地に落ちた刃が、鈍い音を立てた。
それでも、もう一方の手は剣を離さなかった。
握られているのは、ただ一本。
白銀の光を宿す剣。
ニルヴァーナ。
闇の王が嗤う。
「終わりだ、ノーザン・クレイン」
折れた腕を抱えながら、ゆっくりと剣を構える。
呼吸は荒い。
視界は揺れる。
だが、心は静まり返っていた。
剣が、応えた。
今までとは違う。
剣が“道具”ではなく、“意思”になった瞬間。
世界が震えた。
白銀の光が、剣身から溢れ出す。
空気が裂け、地面が砕け、闇が退いた。
「……来い」
次の瞬間。
光が爆発した。
ニルヴァーナの最終奥義
セラフィックスラッシュ
白銀の閃光が一直線に走り、闇の王の身体を貫いた。
一瞬の静寂。
そして。
首が、宙を舞った。
重たい音を立てて、大地に転がる。
「やった!」
歓声が上がる。
しかし、次の瞬間。
その声は凍りついた。
首だけになった魔王が、嗤った。
「……終わりだと……思ったか……?」
地面を這いずるように動く首。
牙が剥き出される。
影よりも速く、跳躍。
避けきれない。
牙が、右腕に食い込んだ。
「ぐっ……!!」
骨にまで届く衝撃。
指の力が抜ける。
ニルヴァーナが、手から滑り落ちた。
白銀の剣が、地面に落ちる。
「まだだ……まだ終わらん……」
首だけの魔王が、さらに噛み締める。
血が溢れる。
視界が赤く染まる。
それでも、叫びは止まらない。
「タケミカズチ!!」
空が裂けた。
雷が落ちる。
神の雷。
天地を貫く光。
魔王の首を、真上から叩き潰した。
闇が、爆散する。
首は地面に叩きつけられ、砕け散った。
硝煙のような魔力が、空へと消えていく。
奈落の王国に、沈黙が訪れた。
だが――
まだ、終わっていなかった。
焼け爛れた首が、なおも闇をまとい、宙に浮かび上がる。
潰れても、裂けても、消えない意思。
執念だけで形を保った、魔王の最後の影。
「ノーザン・クレイン!!!」
叫びと同時に、闇が跳ねた。
牙が剥き出しになる。
狙うのは喉元。
避ける余力は、もう無い。
剣は落ちたまま。
左腕は砕け、六道は握れない。
仲間の声が遠くなる。
視界が、白く滲む。
それでも。
一歩だけ、前に出た。
折れた腕を、無理やり持ち上げる。
握られているのは、聖剣でも黒刀でもなかった
血に濡れ、削れた一本の木刀。
旅立ちの日、渡されたもの
強さでも、権威でも、奇跡でもない
ただの木。
ただの約束。
ただの想い。
「……あと……一撃……」
声は震えていた。
だが、迷いはなかった。
闇が迫る。
世界が歪む。
すべてが、終わろうとしている。
その瞬間。
木刀が、振り抜かれた。
光もない。
魔法もない。
神の力もない。
ただ、人間の力だけ。
乾いた音。
木が、闇を打ち砕いた。
魔王の首が、粉々に砕け散る。
悲鳴はなかった。
呪いもなかった。
ただ、静かに崩れ、消えていった。
闇が、霧のように溶ける。
奈落の王国が、軋みながら崩壊を始める。
戦場に、風が戻った。
血の匂いの向こうに、朝の気配があった。
倒れかけた身体が、膝をつく。
木刀が、地面に落ちる。
誰かが駆け寄る。
誰かが名前を呼ぶ。
誰かが泣いている。
誰かが笑っている。
空を見上げる。
そこには、もう闇はなかった。
ただ、人の世界があった。
崩れゆく奈落の王国の中で、ひときわ澄んだ嘶きが響いた。
闇の底から駆け上がってくる影。
血に染まり、傷だらけの身体を背に乗せながら、それでも誇り高く駆ける一頭の馬。
ラヴズだった。
戦場の喧騒を割り、仲間たちのもとへと辿り着く。
その背から、ゆっくりと降ろされる勇者
誰よりも傷つき、誰よりも戦い抜いた身体。
それでも、その瞳はまだ消えていなかった。
駆け寄る影。
震える手で、その胸元を抱きしめる。
「ノーザ様!!」
声は、涙で歪んでいた。
返事は、かすれた声だった。
「……ニーナ……みんな……勝った……?」
問いは、戦場に落ちる。
一瞬の沈黙。
そして。
「はい……魔王を倒しました……」
その言葉が放たれた瞬間。
世界が、やっと現実に戻った。
崩れていく魔王の城。
逃げ惑う魔族たち。
剣を握りしめたまま立ち尽くす冒険者たち。
膝をつきながらも、空を見上げる兵士たち。
誰もが理解していた。
長かった夜が、終わったのだと。
倒れ込むように地面に座り込む者がいた。
剣を支えに、立ち尽くす者がいた。
泣き崩れる者もいれば、笑い出す者もいた。
「……終わったんだな」
誰かが呟く。
その言葉は、誰のものでもあり、皆のものだった。
血に濡れた少年のそばで、仲間たちが集まる。
ヴィヴィが、乱暴に笑う。
「まったく……無茶しすぎなんだよ」
リーが、静かに目を閉じる。
「……よく生きて戻られました」
サンが、空を見上げる。
「英雄てのは……こういうものやな…」
ショウコは、少しだけ視線を逸らしながら呟く。
「……本当に、面倒な人ですね」
そして、ニーナは再びその名を呼ぶ。
「ノーザ様……」
その声は、もう震えていなかった。
ただ、確かな温度だけがあった。
彼は、ゆっくりと目を閉じる。
安堵の息を吐く。
その顔は、勇者でも、英雄でもなかった。
ただ一人の少年の顔だった。
戦いの終わりと同時に訪れた、静かな時間。
瓦礫の上に横たわるノーザは、深い眠りに落ちていた。
剣を握り続けた指先は、まだ震えている。
その傍らで、影がゆっくりと蠢いた。
まるで、夜が彼女を迎えに来たかのように。
ショウコの足元から、黒い影が広がっていく。
「……帰れるようです……」
その声は、驚くほど静かだった。
ニーナが、ゆっくりと近づく。
「ショウコさん……良かったですね」
笑顔を作ろうとして、少しだけ失敗する。
サンが、荒っぽく叫んだ。
「兄弟!起きろ!サヨナラくらい言いや!」
しかし、ノーザは目を覚まさない。
リーが、静かに首を振る。
「……いや、そっとしておこう」
サヨナラは言えない。
言ってしまえば、本当に終わってしまう気がした。
言わなくても、終わりは来る。
だからこそ、言葉はいらなかった。
影が、ショウコの身体を包み始める。
その輪郭が、少しずつ溶けていく。
ショウコは最後に、眠るノーザを見つめた。
英雄でもなく、勇者でもなく、ただ一人の少年の顔を。
そして、小さく微笑む。
「ありがとう」
声は、誰に向けたものでもあり、誰に向けたものでもなかった。
「あなたが勇者でよかった」
影が、彼女を完全に飲み込む。
その瞬間、風が止んだ。
そこにあったはずの気配は、もうどこにもなかった。
ショウコは、元の世界へと帰った。
戦場に残っていたのは、勝者の歓声ではなく、静かな風だけだった。
魔王の消滅と共に、奈落の王国はゆっくりと崩れ始めていた。
戦いのために集った者たちは、それぞれの帰る場所へ向かう準備を始める。
瓦礫にもたれるノーザの前に、アルベルトとカーミラが並んでいた。
「アルベルト、カーミラ……皆も、本当にありがとう…また、どこかで」
ノーザの言葉は、勇者のものというより、仲間に向けた素直な感謝だった。
「無論だ。我々は仲間を、死んでも見捨てない」
アルベルトは静かに笑う。
戦場で見せた騎士の顔ではなく、一人の男の顔だった。
「さらば、友よ……また会おう」
カーミラは剣を肩に担ぎ、背を向ける。
振り返らない。
それが彼女なりの別れ方だった。
やがて、ラークナイツも、冒険者たちも、自警団も、鳥人部隊も、
それぞれの帰路についた。
一時の同盟軍は、こうして解散した。
残ったのは、クレインパーティだけ。
崩れゆく魔王城の中で、
ノーザ、ニーナ、サン、リー、ヴィヴィ、ミネル、ラヴズ――
彼らだけが、まだそこに立っていた。
戦争は終わった。
だが、彼らの物語は、まだ終わっていなかった。
戦いが終わった後も、ミネルの仕事は終わらなかった。
サウスダムを拠点に、鳥人部隊は運送業と情報網を拡張し、
人間社会と異種族社会を繋ぐ“空の道”を築いていった。
荷物を運び、人を探し、時には争いの仲裁にも飛ぶ。
剣でも魔法でもなく、「信頼」で世界を変えていく役目。
それは、勇者でも王でもない、ミネルにしかできない仕事だった。
夕暮れのサウスダムの港。
風に揺れる羽根を押さえながら、ミネルは空を見上げる。
「ノーザがいたから……ここまで来れたんだと思う」
その言葉は、誇りでも自慢でもなく、ただの実感だった。
隣で腕を組んでいたアイリーンが、肩をすくめる。
「世界って、案外優しいわね?」
ミネルは少しだけ笑った。
遠くの空に、見覚えのある影が走る気がした。
――あの日、一緒に飛んだ仲間たちの影を。
ミネルは羽根を広げる。
今日もまた、空へ。
世界を繋ぐために。
戦いが終わったあと、サンは武器を置いた。
旅で得た報酬を握りしめ、向かった先は、
かつて生まれ育った小さな村。
貧しく、辺鄙で、誰も立ち寄らなかった場所。
そこでサンは、小さなレストランを開いた。
勇者の兄弟分として名を馳せた男が選んだ道は、
意外にも“料理人”だった。
鍋を振り、皿を並べる時間の方が、ずっと好きだったのだと、本人は笑って言った。
いつの間にか、その店は噂になった。
「山奥に、とんでもなく美味い店がある」
「気まぐれな店主が作る料理は、戦場より熱い」
旅人、商人、冒険者、貴族までもが足を運ぶようになり、
かつて静かだった村は、いつしか“隠れ家的名店の村”として賑わい始めた。
ある日の夕方。
暖簾をくぐり、見覚えのある影が店に入ってくる。
サンは包丁を置き、笑った。
「おお、兄弟!みんな!相変わらずやな!」
厨房から漂う香り。
鍋の音。
騒がしい客の声。
そのすべてが、サンにとっての“勝ち取った平和”だった。
「ウチは何でもあるで!腹いっぱい食いや!」
ノーザ達の席だけは、いつまでも特別だった。
値段表のどこにも載らない、
一生消えることのない“無料サービス”。
戦場で結ばれた兄弟の証。
狩人ではなく、料理で人を笑わせる男は、今日も鍋を振る。
戦いが終わったあとも、リーはしばらく旅を続けていた。
ただ歩き、祈り、語り、救いを求める人々の声に耳を傾ける。
ノーザの隣にいた頃とは違い、
そこには“勇者の仲間”ではなく、一人の巡礼者としての姿があった。
だが、不思議なことに。
各地で出会った人々は、いつもリーを放っておかなかった。
「あなたの言葉に救われました」
「一緒にいてほしい」
「もう一度、会えませんか?」
気づけば、彼の周囲には人が集まっていた。
サウスダムで出会った3人の女性。
旅の途中で救った商家の娘。
教会で祈っていた貴族の令嬢。
いつの間にか、リーの周りには、笑顔が絶えない場所が生まれていた。
ある日の夕暮れ。
穏やかな風の中で、リーは静かに呟いた。
「信仰とは、神を信じることではないのかもしれぬな」
誰に向けた言葉でもなく、
しかし確かな答えを見つけたように。
「拙僧は……愛を信じよう」
その声は、かつての厳格な僧侶のものではなく、
人として生きることを選んだ、一人の男の声だった。
ノーザが見たら、きっと笑うだろう。
それでも。
リーはもう、迷わなかった。
救うべきものは、神ではなく、人。
守るべきものは、教義ではなく、心。
かつて寺を追われた僧侶は、
いつの間にか、人々に囲まれながら、静かな幸福の中にいた。
ノーザン・クレインには、二人の女がいた。
一人は、妻となった女。
もう一人は、――剣だった。
ヴィヴィは、戦いが終わったあと、静かに前線を去った。
英雄の隣に立つことも、栄光を語ることもなかった。
彼女が選んだのは、剣を振るう側ではなく、剣を育てる側の道だった。
やがてヴィヴィは、とある国の騎士団に迎えられ、教官となる。
魔王を討った豪剣を、今度は“守るための剣”へと変える役目。
誰よりも厳しく、誰よりも真剣に、若き騎士たちに剣を叩き込んだ。生涯、独身。
だが、孤独ではなかった。
ある日の訓練場。
まだ幼さの残るヴィヴィの一番弟子が、
必死に剣を振るっていた。
踏み込みは浅い。
構えは甘い。
だが目だけは誰よりも鋭かった。
ヴィヴィは腕を組み、短く言い放つ。
「ミレイナ。もっと踏み込みな」
少女は歯を食いしばり、一歩前に出る。
「剣は迷った瞬間に負ける。覚えときな」
少女は何も言わず、ただ頷いた。
その背中を見ながら、ヴィヴィはほんの一瞬だけ、遠い記憶に目を向ける。
炎の戦場。
雷鳴の中で笑っていた男。
そして、決して選ばなかった未来。
だが、後悔はなかった。
剣として生きた女は、剣を託す側になっただけ。
やがて、この少女は歴史に名を刻む騎士となる。
戦いが終わり、世界は静けさを取り戻した。
剣も、魔法も、怒号もない。
ただ、穏やかな風が吹く日々。
ノーザン・クレインは、戦場ではなく、家にいた。
窓から差し込む柔らかな光の中で、ひとりの少女――いや、もう少女ではない女が微笑んでいる。
「ノーザ様…♡」
振り返ったノーザは、少し困ったように笑った。
「ん?どうした?」
ニーナは、そっと自分の腹に手を当てる。
かつて戦場で雷を操り、炎を放った魔法使いの手は、今は驚くほど優しかった。
「もうすぐ…産まれそうです」
その言葉に、ノーザは言葉を失う。
大きくなった腹を、ニーナが愛おしそうに撫でる。
その動きを、ノーザも隣に並んで、同じように真似た。
かつて魔王と刃を交えた勇者は、
今はただ、一人の男としてそこにいた。
「……そっか」
短い言葉だったが、そこにはすべてが詰まっていた。
戦いの日々。
仲間との旅。
幾度も死線を越えた記憶。
それらすべてが、この瞬間のためにあったのだと、
ノーザは初めて理解した。
窓の外では、穏やかな空が広がっている。
遠い未来。
この子が、仲間とともに世界を揺るがす大冒険をすること。
その子の子供たちが、神にすら喧嘩を売るほどの存在になること。
まだ、誰も知らない。
ただ一つ確かなのは。
剣で切り拓いた物語が、
ここから“命”として続いていくということだけだった。
ノーザン・クレインは、勇者である前に、父になる。
そしてニーナは、魔法使いである前に、母になる。
その事実こそが、
魔王を倒したどんな勝利よりも、尊い奇跡だった。
そして――現代日本。
真夜中の路地裏。
街灯の光だけが、濡れたアスファルトを照らしていた。
「……」
影の中から、ひとりの少女が現れる。
「……帰ってきた……」
ゆっくりと息を吐き、周囲を見渡す。
「……あの時間……あの場所のまま……」
まるで、異世界での出来事など最初から存在しなかったかのように、世界は何事もなかったように動いている。
その時――
足音が響いた。
「翔子……!」
駆け寄ってきたのは、一人の少年だった。
「大丈夫だったか?」
必死に息を切らしながら、少女の肩に手を置く。
翔子は一瞬だけ驚いたように目を見開き、
そして、ほんの少しだけ笑った。
「刀真くん……」
静かな声だった。
「うん……楽しかった」
その言葉に、少年は言葉を失う。
「……は?」
翔子は夜空を見上げる。
そこには、異世界の星も、魔王の城もない。
ただ、見慣れた現代の空だけが広がっていた。
「ねえ……刀真くん…もし……この世界の他に、
“別の世界があって、世界を変える為に冒険する人達”がいるって言われたら……信じる?」
少年は一瞬黙り込み、苦笑した。
「……お前が言うなら、信じるしかないだろ」
翔子は、小さく笑った。
その足元で、街灯の影が、わずかに揺れた。
――そこに、もう一人の“何か”がいるかのように。
翔子は、誰にも聞こえない声で呟く。
「……また、会える気がするんだよね」
その言葉の意味を、少年はまだ知らない。
だが、翔子の影は知っていた。
異世界で出会った勇者のことを。
剣を振るった少年のことを。
そして――
物語が、まだ終わっていないことを。
夜の街に溶けるように、翔子と刀真は歩き出す。
その背中を、影が静かに追いかけていた。
ノーザン・クレイン。
彼が切り拓いた道は、
子へ、孫へ、仲間へ、世界へと受け継がれ――
未来永劫、英雄の系譜は続いていく。
完。
この物語もいよいよ最終回です
今思えば勇者の息子から初めて2作目で孫で、今になって勇者本人でした。気付けば過去最長の37話、ここまで読んでいただいた方々、ありがとうございます!
気になってくれた方がいれば過去作も宜しくお願いします




