不浄の決戦
実はやってそうでやって無かったお姫様救出作戦
サウスダムの宿屋。
復興から二日が経ち、街もようやく日常の輪郭を取り戻し始めていた。
朝の食堂で、ノーザは珍しく気まずそうに頭を掻いていた。
視線は卓の上、誰とも目を合わせない。
「いや〜……皆ゴメン……皆の給料まで使っちゃって……」
向かいに座るサンが、呆れたように笑って椅子にもたれかかる。
「だから謝んなや!皆、納得しとるんやで!」
その横でニーナが穏やかに微笑み、紅茶の湯気越しにノーザを見つめる。
「感謝が一番の報酬ですよ」
――(あぁ……♡ノーザ様が勇者過ぎて素敵過ぎますぅ……♡ヤバ…♡◯◯しそうになっちゃうぅ…♡)
内心はさておき、声色は落ち着いていた。
ヴィヴィは腕を組み、いつもの調子で頷く。
「全部終わってから言いなよ。今は前だけ見てさ」
リーも静かに肯定するように目を閉じる。
「既に決断された事。後悔より、次の務めを考えるべきかと」
ノーザはゆっくりと息を吐き、ようやく顔を上げた。
「……ありがとう、皆。そうだな。次からは魔族領だ。迷ってる暇は無い」
その瞬間だった。
宿屋の扉が勢いよく開き、朝の空気が流れ込む。
埃を払う間もなく、一人の男が中へと駆け込んできた。
整ったが切迫した身なり。
胸元には王家の紋章。
「申し上げます!ノーザン・クレイン殿……!」
食堂の視線が一斉に集まる。
男は一度膝に手をつき、息を整えてから続けた。
「王より急務につき……城へお越しいただきたいとの命です……!」
一瞬の静寂。
ノーザは立ち上がり、仲間達を一瞥した。
そこに迷いは無い。
「……分かりました。すぐ向かいます」
また一つ、役目が来た。
それが人類領で最後のものになるとは――
この時、まだ誰も知らなかった。
王城・謁見の間。
重厚な石造りの空間に、剣戟の跡はない。
だが、ここが最前線国家の中枢であることは、張り詰めた静けさが物語っていた。
玉座から立ち上がったのは、壮年の王だった。
背筋は伸び、目には覚悟が宿っている。
「ノーザン・クレイン殿……ご多忙のところ、感謝致す」
王は一歩、玉座から降りた。
その行動に、周囲の重臣たちがわずかに息を呑む。
「前日のヴァルケン救出、そしてこれまでの貴殿らの働き……すでに耳にしている。武力だけではない。民を立たせ、未来を残す働きだ」
視線は真っ直ぐ、ノーザに向けられている。
そこに試す色はない。ただ、頼るしかない者の目だった。
「そこで……一つ、お願い申し上げたい」
一瞬の間。
ノーザは膝を折らず、しかし深く頭を下げる。
「急ぎと伺っています。どうなさいましたか?」
王は短く息を吐いた。
その声には、為政者ではなく、一人の父の色が混じっていた。
「……我が娘が、攫われた」
謁見の間が、静まり返る。
「国境付近での視察の最中だった。魔族の小隊が陽動を仕掛け、その混乱に乗じて……連れ去られた」
拳を握り締める音が、わずかに響いた。
王自身のものだった。
「要求は一つ。魔族の領内にある城へ来い、と。“婚礼”の準備を整えている、とな」
言葉を選びながらも、怒りは抑えきれていない。
「軍を動かせば、間違いなく殺される。交渉も成立しない。
相手は……魔族幹部、名をウォーカー・リオトロ。不浄王と呼ばれる大魔族だ…」
王はノーザを見据え、深く、深く頭を下げた。
「これは国家の依頼ではない。
父としての……願いだ…娘を……救ってほしい」
静かな沈黙。
だがその場にいる誰もが、答えを待っている。
ノーザはゆっくりと息を吸い、顔を上げた。
その目に、迷いはなかった。
王は一度、言葉を切った。
重臣も、兵も、誰も口を挟まない。
ただ一人の父が、そこに立っていた。
「……我が娘は、サリーナは……恐らく、抵抗するだろう」
視線が、床に落ちる。
その声音には、誇りと、恐怖が混じっていた。
「国を危険に晒すくらいなら、自ら命を絶つことすら厭わぬ子だ。幼い頃から……そう育ててしまった」
拳が、微かに震える。
「だが……ウォーカーは、それすら許さぬ」
喉の奥で、言葉が詰まる。
「“死を選ばせぬ”のが、あの不浄王のやり方だ。
心を削ぎ、希望を奪い、逃げ道を一つずつ潰し……最後に、従わせる」
王は顔を上げた。
その目には、怒りよりも先に、悔恨があった。
「……民には、この件を伏せている。
恐怖が広がれば、国は内側から崩れる。
父としては卑怯だと分かっているが……王としては、そうするしかなかった」
沈黙が落ちる。
「サリーナは、婚礼などという言葉で飾られた牢にいる。
逃げれば誰かが死ぬ。拒めば、民が見せしめにされる。
……あの魔族は、そういう“選択”を突きつける」
重い空気の中、王は深く息を吸い、頭を下げた。
「だから頼む。
剣で終わらせてほしい。
説得ではない、交渉でもない」
「――あの外道を、二度と誰の人生も踏みにじれぬように」
その言葉は、命令ではなかった。
父が、父として絞り出した願いだった。
ノーザの六道とニルヴァーナが静かに鳴った。
それはもう、戦う理由として十分だった。
錫杖を床に軽く突き、リーが一歩前に出た。
その目には一切の迷いがない。
「……参ろう。
拙僧は、悪に容赦する気は無い」
炎色の髪を揺らし、ヴィヴィが鼻で笑う。
だがその笑みは、怒りを抑え込んだものだった。
「ほんとだよ。
アンホーリー?……名前からして虫唾が走るね。
灰になるまで、きっちり焼き尽くしてやるさ」
肩に方天戟を担ぎ、サンが豪快に笑った。
けれど、その声はどこか誇らしげだった。
「兄弟、ワイら……なんだかんだ信頼されとるなぁ。
ここで引いたら、勇者が廃るで。
やらなアカン仕事や」
最後に、そっとノーザの隣へ歩み寄る影。
柔らかな声音だが、揺らぎはない。
「行きましょう。
私達は……ノーザ様と共に参ります」
その言葉に、ノーザはゆっくりと仲間達を見渡した。
誰一人、目を逸らさない。
剣を抜く理由は、もう十分だった。
救うため。
断ち切るため。
そして――次の地へ進むために。
ノーザは小さく息を吸い、頷いた。
「……ありがとう。
行こう。姫を救いに」
こうして、
人類領最後の依頼が、静かに幕を開けた。
謁見の間を後にする一行。
その背中に、迷いは無い。
死への恐れも、躊躇も、既に置いてきた。
ノーザン・クレイン。
彼は正義の為に剣を振るった。
それは理想論ではない。
誰か一人が贅沢をする為でも、誰かが上に立つ為でもない。
――人類が、人類として生きる為の最低限。
奪われず、虐げられず、等しく「明日」を迎える権利。その平等な幸福を守る為に、
後の世において、人々は彼をこう評した。
――真の勇者。
そして――
さらに時代が下り。
彼とニーナの息子、
ワイアット・クレイン。
彼は正義を語らなかった。
悪を断ずる事もしなかった。
魔物の尿路管に石を詰め、新魔王の肛門に散弾銃を突き刺し発砲、一国の姫君から金を貢がせ逃亡…
ただ一言、こう言ったという。
「ムカついたからブチのめした」
その戦いぶりを見た人々は、口を揃えてこう言った
「……どっちが魔王だよ」と…
ノーザは“勇者”だった。
――だが息子は、災害だった。
城門を抜けると、空気が変わった。
人の往来は途絶え、地平の向こうで鈍く鳴る金属音と、遠雷のような咆哮が混じる。ここから先は、人類連合軍が正面で敵を引き付け、志願者たちが影を縫って進む境界線――生と死の境目だった。
地図を広げ、静かに指先で距離を測る者がいる。
「アンホーリー……ウォーカーの居城は、魔族側の前線寄り。ここから五キロ先です」
淡々とした報告の裏に、緊張が滲む。
肩越しに遠方を見据え、乾いた笑いが漏れる。
「魔王討伐より一足先に来るとはな……」
軽口の形を借りた覚悟だ。
杖を地に軽く突き、歩幅を合わせる影。
「予行演習と捉えよう。今回の目的は進軍ではない」
言葉は短く、しかし芯がある。
先頭を歩く背中は揺るがない。
前線の喧騒を背に、影の回廊へ踏み込む。敵を殲滅する戦ではなく、奪われた一人を取り戻すための侵入。速さも、静けさも、躊躇の無さも要求される。
足音が揃う。
風向き、地形、退路――すべてが頭に入る。
五キロ先。短い距離で、長い夜が待っている。
合図は無い。
ただ、前を向いたまま進む。
前線を離れるにつれ、音は削ぎ落とされていった。
草を踏む圧も、呼吸の間隔も、意識的に抑えられる。五キロ――短いが、敵地では永遠にも感じる距離だ。
上空から、抑えた声が届く。
ミネルの翼が夜気を裂き、影の中から報告が落ちてきた。
「南西ルートは敵が手薄だよ。毎日決まった時間、今から三十分後に補給運搬部隊が城に入るよ」
無音飛行のまま、状況だけを切り取るような簡潔さだった。
先頭を歩く背中が止まる。
一瞬、思考が走り、決断が固まる。
「一人……荷物の山に潜り込もう」
静かな声だったが、内容は鋭かった。成功すれば最短で城内へ入れる。失敗すれば――戻らない。
振り返り、仲間一人ひとりの目を見る。
そして、ヴィヴィで視線が止まった。
「……ヴィヴィ、君が行ってくれ」
一瞬の間。
だが迷いは無かった。
「あーしに任せな!」
胸を叩き、にっと笑う。その態度は、恐怖を知らないのではない。信頼が恐怖を上回っているだけだった。
荷車の軋む音が、遠くから近づいてくる。
補給部隊だ。箱、樽、袋――影が重なり、隙が生まれる。
ヴィヴィの足取りが、闇に溶けた。
荷の山がわずかに揺れ、何事もなかったように落ち着く。
指揮官は、目を閉じて一拍だけ祈るように呼吸した。
作戦は始まった。
ここから先は、時間と沈黙の勝負だ。
荷馬車はゆっくりと動き出した。
夜明け前の薄闇の中、軋む車輪の音だけがやけに大きく聞こえる。
積み上げられた荷の隙間、その奥に潜む影を、誰もが分かっていた。
ニーナは思わず手を胸に当て、荷馬車から目を離せずにいた。
「ヴィヴィさん……大丈夫ですよね……」
サンは腕を組み、短く息を吐く。
「大丈夫や。いざって時に一番自分の身を守れるんが、ヴィヴィちゃんや」
その声は軽いが、視線は真剣だった。
ノーザは荷馬車の後方を見つめたまま、低く言葉を落とす。
「ヴィヴィ……もしもの時は、城に火を着けて逃げろ……」
一瞬の沈黙。
それが“生きて戻れ”という意味だと、全員が理解していた。
荷馬車はやがて闇に溶け、城へと続く道の向こうへ消えていく。
リーが静かに口を開く。
「……あとは我らの番だな」
ノーザはゆっくりと息を吸い、仲間を見渡した。
ここから先は、引き返せない。
「行こう。城の中で合流する」
誰も異を唱えない。
不安も恐怖も抱えたまま、それでも足は前に出る。
城を目指す影が、夜の中を静かに進み始めた。
城の輪郭が、闇の向こうに浮かび上がった。
塔は高く、城壁からわずかに張り出している。月光を受け、そこだけが不自然に明るかった。
足を止めたサンが、顎でその塔を示す。
「あの塔……最高の狙撃スポットや。ここで分かれさせてくれ」
ノーザは一瞬だけ黙り込み、城と塔、そしてサンを順に見た。
「……わかった。サンの腕を信じる。ただ……死ぬなよ」
笑って返すが、声音は軽くない。
「当たり前や。ほな……送ってくれ!」
その言葉を合図に、背後から大きな影が進み出る。
夜の闇を切り裂くように、巨大な翼が静かに広がった。
ミネルが振り返り、短く名を呼ぶ。
「アイリーン!」
低く、快活な声が返る。
「Alright!」
現れたのは、オウギワシの鳥人。
猛禽の中でも一際大きな体躯、太い脚、爪はまるで鉤爪のようだった。
アイリーンは一切ためらわず、サンの胴を掴み上げる。
怪力でありながら、その動きは驚くほど静かだった。
地面を蹴る音すら残さず、二つの影が夜空へと溶けていく。
ノーザは、飛び去る背中を見上げたまま呟く。
「……頼んだぞ」
サンの姿は、塔の影へと吸い込まれた。
残された者たちは、再び城へと視線を戻す。
役割は分かれた。
引き返す理由も、迷う時間も、もう無い。
夜風を裂いて、低く抑えた声が降ってきた。
上空を旋回していたアイリーンが、城壁の影へ合図を送る。
「タワーの見張りは始末したわ。裏門はガラ空きよ」
ノーザは即座に頷き、視線をミネルへ向ける。
「よし……裏から入る。ミネル、鍵を頼む」
「わかった!」
ミネルは翼を畳み、地面すれすれまで高度を落とす。
足音は無く、影が滑るように裏門へと近づいた。
古い鉄製の扉。
錆びた蝶番、歪んだ閂。
ミネルは閂を外し
「……開いた」
扉が、ほんの数センチだけ内側へ滑る。
ノーザ、ニーナ、リーは一斉に息を詰め、間を置いてから静かに踏み込んだ。
城内は、異様なほど静かだった。
遠くから聞こえるのは、兵舎の奥で鳴る金属音と、魔族の低い笑い声だけ。
ニーナが小さく手を上げ、通信魔法を展開する。
「内部侵入完了……気配は薄いです」
リーは錫杖を逆手に構え、周囲を見渡した。
「警戒が甘い……この城、慢心している」
ノーザは一歩前へ出る。
「……ここからは分刻みだ。捕虜区画を最優先、異変があれば即座に離脱」
ミネルが短く頷き、再び影へ溶ける。
「上から誘導するよ。合図があればすぐ知らせる」
鳥人部隊が、屋根と塔の影へ散開していく。
空と地上が、静かに連動した。
裏門は、今や完全に閉じられた。
退路はある。
だが、引き返すためではない。
ノーザは剣に触れ、前を見据える。
ここから先は、敵の腹の中だ。
静かな侵攻は、すでに始まっていた。
城の最深部。
分厚い石壁に囲まれた広間は、香の匂いと不快な湿気に満ちていた。
玉座に深く腰掛けた魔族が、喉を鳴らして笑う。
指先で酒杯を弄びながら、歪んだ愉悦を隠そうともしない。
「グフフフ……美しい妻に、さらなる支配……。やがてはこの地も、人類も、そして魔王すらも……すべては我が手の中よ」
その足元。
鎖に繋がれた少女が、必死に後ずさる。
「……いや……触らないで……」
震える声。
恐怖と屈辱が混じった瞳。
だが、その拒絶は逆に魔族の欲を煽っただけだった。
ゆっくりと立ち上がり、影が少女を覆う。
「安心せよ。これは“選ばれし者”の栄誉だ……貴様の血も、魂も、すべて我がものになる」
指が伸びる。
その瞬間――
遠く、城のどこかで微かな金属音がした。
魔族は一瞬だけ眉をひそめたが、すぐに嗤った。
「……気のせいか。ここは我が城だ」
再び少女へと視線を戻す。
逃げ場はない、と言わんばかりに。
石壁の外。
誰も知らぬ場所で、確実に“何か”が近づいている事を、まだこの不浄王は知らない。
闇の城で、運命の秒針が刻まれ続けていた。
これが人類領での最後のミッションになります




