大隊長
人類領土ももうすぐ終わり
リコの墓を背に、ノーザ達は村外れの街道まで歩いてきていた。
朝の空気は澄んでいて、昨夜までの重さが嘘のように、鳥の声だけが響いている。
ミネルは小さな荷を背負い、少し後ろで立ち止まった。
翼を軽く広げ、皆を見渡す。
「ノーザ…皆…短い間だったけど…ありがとう!」
その声には、もう怯えも迷いも無い。
代わりにあったのは、決意だった。
ノーザは一歩前に出て、真っ直ぐミネルを見る。
「またな、ミネル。別行動でも君はもう俺達の仲間だ」
ミネルは一瞬きょとんとしてから、照れたように笑った。
「…うん。じゃあ、アタシはアタシに出来る戦い方でやるよ。飛んで、見て、伝えて…後ろから支える」
サンが腕を組んで頷く。
「それでええ。戦うだけが戦いやない。ミネルちゃんは空の目や」
リーは静かに合掌する。
「再会の折には、無事を喜び合おう」
最後に、ニーナが一歩近づいた。
優しく微笑み、はっきりとした声で言う。
「別れではありません…また会いましょう。必ず」
ミネルは一度、ぎゅっと拳を握り、深く頷いた。
「うん。必ず」
そして、軽く助走をつけると――
羽音ひとつ立てず、ミネルは空へ舞い上がった。
朝日を背に、小さく手を振るその姿が、やがて点になって消えていく。
しばらく、誰も言葉を発さなかった。
ノーザは前を向き、ゆっくりと息を吸う。
「……行こう」
それだけで、十分だった。
クレインパーティは再び歩き出す。
失ったものも、背負ったものも、確かに胸に刻んだまま。
だが今は、前を向いて。
新しい道が、彼らを待っていた。
村を出てから三日。
山道と街道を越え、ノーザ達はついに次の国の外壁を前にしていた。
高い石壁。
補修跡の残る城門。
見張り台には常に兵が立ち、弓と魔導灯が外を睨んでいる。
ここが――
人類領土、最後の国。
サウスダム。
城門を抜けた瞬間、張り詰めていた空気がわずかに緩んだ。
誰かが、ほっと息を吐く。
「……着いたな」
低く、噛み締めるような声。
ノーザは城内を見渡していた。
街は生きている。
市場は開かれ、人は行き交い、子供の声も聞こえる。
だが、どこか違う。
誰もが武装している。
店の裏には避難壕。
壁際には治療所と兵站倉庫。
日常と戦争が、同じ地平で並んでいる街だった。
「この国が……最後の安息地になるでしょうね……」
ニーナは小さくそう呟き、胸元で手を組んだ。
不安ではない。覚悟を確かめる声だった。
ヴィヴィが城壁を見上げ、鼻で笑う。
「安息地って顔じゃないね。ここ、もう前線だよ」
「せやな……」
サンは周囲の兵装を一目見て、真顔になる。
「これ以上先は、日常そのものが戦場って事や」
リーは静かに頷いた。
「民が平穏を保てているのは、この国が“盾”になっているからだ」
ノーザは一歩踏み出し、石畳を踏みしめる。
その感触を確かめるように。
「ここを越えたら……戻れないな」
誰も否定しなかった。
ただ、ニーナが隣に並び、迷いなく言う。
「戻る必要はありません。私達は……前へ行くために、ここまで来たのですから」
ノーザは小さく息を吐き、頷いた。
城内の奥。
前線へ続く街道は、まだ見えない。
だが――
確実に、その先は近づいていた。
束の間の安堵。
そして、来たる戦いの気配。
サウスダムは、静かに彼らを迎え入れていた。
サウスダムは、ただの国ではなかった。
ここは――人類側連合軍の前線防衛拠点。
城内を進むにつれ、その異質さははっきりと見えてくる。
各国の旗。
統一されていない鎧。
だが、動きに無駄はなく、視線は鋭い。
正規軍、傭兵、冒険者。
さらに、国家直属の特殊部隊と思しき集団まで混在している。
この国では、肩書きも国籍も意味を持たない。
あるのはただ一つ――役割だけだった。
防衛線の維持。
拠点の死守。
そして、奪われた土地の奪還。
街の奥、作戦区域へと繋がる広場では、地図を囲んで軍人達が議論している。
魔族の動向、兵站、損耗率。
どれも、生き残るための現実的な言葉ばかりだった。
「……ここが、人類の盾か」
ノーザはそう呟き、自然と拳を握っていた。
ニーナは静かに頷く。
「人類連合軍が、魔族の主力を引き付ける……その間に、私達のような者が動く」
それは、最初から決められていた役割だった。
正面衝突は、軍の仕事。
数で押し合い、血を流し、時間を稼ぐ。
そして――
その裏を抜けるのが、冒険者。
「少数精鋭で、魔族領土に侵入する……って訳か」
サンは地図を覗き込み、低く唸る。
「派手やないけど……一番危ない役回りやな」
ヴィヴィは笑った。
「だからこそ、あーし達の出番だろ?」
リーは短く言う。
「軍が陽なら、我らは影だ」
この国で、ノーザ達がする事は明確だった。
装備の最終調整。
情報収集。
魔族領土の地形、拠点、警戒網の把握。
そして――
人類領土を越える準備。
「この国での準備が終わったら……」
ノーザは城壁の向こうを見つめた。
見えない先。
だが、確実に続いている道。
「俺達は、前線を越える」
誰も止めなかった。
恐怖も、不安もある。
だが、それ以上に――覚悟があった。
サウスダムは、最後の安息地。
同時に、人類領土の終点。
ここから先は、
守る場所ではなく、踏み込む場所。
街の喧騒の中で、
ノーザ達は静かに、その一歩を定めていた。
サウスダムの冒険者ギルドは、これまで訪れたどの街よりも広く、そして騒がしかった。
軍服、傭兵装備、見慣れない紋章。
前線国家らしい空気が、受付ホール全体に満ちている。
ノーザは一歩前に出て、慣れた調子で口を開いた。
「クレインパーティです。登録をお願いします」
受付台の向こうで、書類を捲っていた女性が一瞬だけ手を止めた。
次の瞬間、少しだけ困ったように首を傾げる。
「クレインパーティ……あ、すみません。どちらの部隊でしょうか?」
思わず眉を上げるノーザ。
「部隊? 俺達は、そんな部隊を分けるほどの規模じゃ……」
女性は首をかしげたまま、端末を操作する。
「ええと……クレインパーティ本隊ですか? それとも外郭鳥人部隊の方ですか?」
その瞬間、ノーザの脳裏に嫌な予感が走った。
ゆっくりと横を見る。
ニーナはすでに察したのか、静かに通信魔法の詠唱に入っていた。
「……繋がりました」
淡々とした声の直後、数日前まで聞き覚えのある元気な声が響く。
『もしもし?』
ノーザは深く息を吸った。
「ミネル……なんか、パーティ作った?」
一拍。
次いで、やたら明るい返事。
『うん!』
嫌な予感が確信に変わる。
『仲間集めて、皆でノーザ達の旅をサポートする部隊作ったよ!』
受付嬢の手元に、次々と情報が表示されていく。
鳥人族部隊
人数:約一〇〇名。
編成:斥候、伝令、索敵、後方支援。
ノーザは頭を抱えかけた。
「……でも、どうやってそんな大規模な登録を……」
通信の向こうで、ミネルが少し得意げに答える。
『ノーザから貰った預かり証、覚えてる? あれ見せたら割と簡単に登録できたよ』
ニーナが静かに付け足す。
「……現地徴集兵扱いになりますから、合法です……」
サンが吹き出した。
「兄弟……いつの間に大隊長になっとったんや……」
ヴィヴィは腹を抱えて笑う。
「あーしら、寄せ集めのはずだったよね!? なんで急に軍隊みたいになってんのさ!」
リーは腕を組み、淡々と結論を述べた。
「つまり……ノーザ殿は意図せず、百名規模の外郭支援部隊を率いる立場になった、という事か」
受付嬢はにこやかに書類を差し出す。
「確認しました。
クレインパーティ大隊長……ノーザン・クレインさん、登録完了です」
ノーザは遠い目をした。
「……俺、そんなつもりじゃ……」
通信の向こうから、ミネルの元気な声が追撃する。
『大丈夫!前線には出ないし、情報と補給だけだから!皆、ノーザのこと尊敬してるよ!』
尊敬、という言葉がやけに重く響いた。
ニーナは小さく微笑み、そっと言った。
「……どうやら、ノーザ様の背中は……思っている以上に、多くの者に見られているようですね」
ノーザは天井を仰いだ。
開始早々――
彼はすでに100人規模を抱える“大隊長”になっていた。
酒場、サウスダム到着初日の夜。
街は前線国家とは思えないほど賑わっていた。
通りには明かりが灯り、酒場からは笑い声と音楽が溢れている。
鎧姿の兵士と、冒険者、傭兵、商人が肩を並べ、明日が戦場だという現実を今夜だけ忘れるように杯を傾けていた。
ノーザ達も、その一角に腰を下ろしていた。
テーブルの中央には料理が並ぶ。
肉、パン、煮込み、香辛料の効いた前線飯。
どれも栄養重視だが、不思議と味は悪くない。
サンがジョッキを置きながら、周囲を見渡す。
「前線の国や言うても……思ったより活気あるなぁ」
ヴィヴィは豪快に肉にかぶりついた。
「うん!暗い雰囲気かと思ったけど、皆ちゃんと笑ってるね」
その笑顔の裏にある覚悟を、ここにいる全員が理解しているからこそ――
この賑わいは、どこか張り詰めていた。
リーは静かに湯気の立つ料理を口に運ぶ。
「明日があるからこそ、今を大切にしている……そういう国なのだろう」
ノーザ達もその一角に腰を下ろしていた。杯を置いたノーザが少しだけ視線を落とした。
笑っている仲間達を見回し、それからぽつりと零す。
「……百人規模か……俺に、できるかな……」
冗談めいた口調だったが、声の奥には確かな不安が滲んでいた。
隣で肉を頬張っていたヴィヴィが、むぐっと飲み込んでから即答する。
「できるかどうかじゃないでしょ。もう“なってる”んだよ」
サンも笑いながらジョッキを鳴らす。
「百人を率いる言うてもな、兄弟が前に立って“生きとる”だけで十分や」
静かに杯を持つリーが、淡々と続けた。
「指揮とは完璧である事ではない。迷いを抱えたまま、立ち続ける事だ」
少し遅れて、ニーナがそっと言葉を添える。
「ノーザ様は……一人で背負おうとするから迷うのです。ですが、百人は“従う者”ではなく……ノーザ様を信じて集まった“味方”ですよ」
ノーザは一瞬、言葉を失ったあと――
小さく、でも確かに笑った。
「……そっか」
胸の奥にあった重さが、ほんの少しだけ軽くなる。
「じゃあ……頼むよ。皆」
その言葉に、誰も大仰な返事はしなかった。
ただ、杯が重なり、笑い声が続いた。
迷いはあった。
だが、もう一人ではなかった。
夜は更け、前線の国の灯りは、静かに揺れていた。
だが――
その空気を、軽やかに破った存在がいた。
上空から、ふわりと降りてくる影。
翼を畳み、店先に着地する。
「ノーザ! ここだったんだ!」
ミネルだった。
人混みの中でも目立つが、今のサウスダムではそれほど異質でもない。
ヴィヴィが手を振る。
「おー!ミネル!頼もしい事してくれたね!」
「うん! 部隊の配置と連絡網、今日の分は全部終わり!」
胸を張るミネルの後ろで、鳥人の若者が数人、別のテーブルで飲んでいるのが見える。
サンが目を丸くした。
「ほんまに作っとるやないか……鳥人部隊……」
ノーザは苦笑する。
「……大丈夫か? 無理してない?」
ミネルは首を横に振った。
「全然!戦わなくていいなら、アタシの方が向いてるよ。それに……皆、ノーザの事、ちゃんと“希望”として見てる」
その言葉に、ノーザは少しだけ言葉に詰まった。
ニーナが柔らかく微笑む。
「それは……悪い事ではありませんよ」
ヴィヴィがジョッキを掲げる。
「よーし! じゃあ今日は細かい話は禁止!
明日から仕事なんだから、今夜は楽しもうよ!」
サンも即座に乗った。
「せやせや!飲め飲め!」
リーはため息をつきつつも、杯を持ち上げる。
「……節度は守られよ」
ノーザはその光景を眺めながら、ゆっくりと息を吐いた。
リコがいない席。
ミネルが新たに座る席。
変わったものも、失ったものもある。
それでも――
今、ここにいる仲間は確かだった。
「……じゃあ」
ノーザは静かに杯を上げる。
「明日からの無事と、皆の健闘に」
杯が重なり、軽い音を立てる。
夜はまだ深く、街の灯りは消えない。
人類領土、最後の国。
嵐の前の、確かな安息。
翌朝。
前線国家サウスダムの朝は、静かだが張り詰めていた。
夜明けと共に、城塞都市の鐘が低く鳴る。
それは始業の合図であり、同時に――戦争が日常である国の目覚めでもあった。
ギルドの詰所。
壁一面に貼られた地図の前で、ノーザは腕を組み、内容を読み込んでいた。
件名:国境沿いの町を救助せよ
内容:魔族の脅威に晒され続けている町の住民救助および復興
派手さはない。
魔族幹部討伐でも、戦線突破でもない。
だが――
この国で最も重要な任務の一つだった。
説明役の軍属が、淡々と続ける。
「町の名前はヴァルケン。人口は三百弱。
魔族の小規模侵入が断続的に発生しており、住民は地下壕での生活を強いられています」
地図上の赤い点は、前線ぎりぎりに食い込むように存在していた。
「本隊は別戦線で大規模戦闘中。
この町に常駐させられる兵力はありません。
よって――救助、護衛、復興支援を冒険者に委ねます」
ノーザは地図を見つめたまま、短く息を吐いた。
「……つまり」
視線を上げる。
「俺達が行かなければ、そこは“切り捨てられる”」
軍属は否定も肯定もしなかった。
ただ、現実として頷いた。
その空気を破ったのは、背後からの軽い声だった。
「分かりやすくてええ仕事やな」
サンが肩を回しながら前に出る。
「守る相手がはっきりしとる。
前線より、よっぽど気合入るで」
ヴィヴィも拳を握る。
「復興まで含めて救助、ね。
守って終わりじゃない……好きだよ、こういう仕事」
ニーナは地図の町の位置を見て、静かに頷いた。
「医療と物資支援が最優先ですね。
長期避難を強いられているなら、心身ともに限界のはずです」
リーは腕を組み、短く言う。
「戦う理由が明確だ。
この任務、拙僧は好ましい」
ノーザは、仲間の声を一つずつ聞いたあと、最後に地図を見下ろした。
――小さな町。
――守られなければ消える場所。
そして、ふと思い出す。
かつて自分が育った、名も無い村。
強者にとっては地図にすら載らない、だが確かに人が生きていた場所。
ノーザは顔を上げた。
「行こう」
それだけだったが、迷いは無かった。
「救助して、守って、立て直す。
できる事は全部やる」
その言葉に、誰も異論を挟まない。
軍属が最後に告げた。
「クレインパーティ、並びに鳥人部隊は先遣扱いとする。幸運を祈る」
外に出ると、城門の向こうには荒れた大地と、遠くに煙が見えた。
前線の匂い。
だが――まだ、間に合う。
ノーザは一歩、前に踏み出す。
サウスダムでの初仕事。
それは“敵を倒す”任務ではなく――
“人を救う”任務だった。
物語は、静かに次の戦場へと進み始めていた。
鳥好きなんですよね、これからは鳥人部隊の協力も多くなります




