身を落す勇者
今回は曇るかと思います
夜明け前
夜明け前の宿屋は、ひどく静かだった。
外はまだ薄闇に沈み、鳥の声すら聞こえない。
ニーナは一人、ロビーの片隅に立ち尽くしていた。
指先には、淡く残る魔力の感触。
昨夜、確かに触れた“残留思念”が、まだ頭から離れない。
(これは……言うべき……?)
胸の奥が、きゅっと締め付けられる。
疑念が、言葉にならないまま渦を巻く。
(でも……なぜ……?)
(どんな意図があって……?)
(どうして……ノーザ様の剣を……?)
ニルヴァーナと六道。
あの二振りは、ノーザの命そのものだ。
触れられることすら稀で、ましてや――持ち出されるなど。
(言ってしまえば……ノーザ様は……どう思うでしょう……)
信じたい。
仲間を。
この旅を。
今まで積み上げてきた時間を。
けれど同時に、魔法使いとしての理性が告げている。
――あれは偶然ではないと。
ニーナは小さく息を吸い、そして吐いた。
迷いは、ほんの一瞬だった。
「……確認だけ、です」
そう呟き、ロビーを出る。
廊下の奥、仲間たちの部屋へ向かう足取りは、静かだが確かだった。
その時――
遠く、どこかで、
かすかな物音がした。
ニーナは、はっと立ち止まる。
今のは、床鳴りか。
ロビーを抜け、階段を上がる。
木造の廊下は、夜明け前の冷気をまだ残していた。
ニーナは足音を殺しながら進む。
向かう先は、ノーザの部屋。
(ノーザ様も……皆も……なぜニルヴァーナと六道が無くなったのかを、まだ知らない……)
胸の奥で、不安が波打つ。
だが、迷いはもう振り切った。
(でも今は、推測ではなく……事実だけを、周知しておかねばなりません……!)
それは至極まっとうな判断だった。
魔法使いとして、仲間として、そして――パーティの副官役を自然に担ってきた者として。
だからこそ。
廊下の途中、
背後で――微かな気配が動いた。
「……」
息を呑む間もなかった。
次の瞬間、
背後から伸びた腕が、ニーナの口元を塞ぐ。
「ふっ……!? い、や……!」
声は布越しに押し殺され、
同時に、細いが確かな力で身体を引き寄せられる。
床板が、きしりと鳴った。
必死に魔力を巡らせようとするが、
体勢が悪い。
首元に冷たい何か――金属ではないが、魔力を遮断する感触が触れている。
(な……に……? 誰……!?)
振り向こうとするが、
背後の“それ”は顔を見せない。
耳元で、囁くような気配だけがあった。
「……言わせない」
低く、抑えた声。
感情が読めない。
ニーナの視界が、一瞬揺らぐ。
魔力が、乱される。
(この感触……魔法……?)
次の瞬間、
意識が、すとんと落ちた。
ニーナの身体が、廊下の影へと引きずられていく。
布越しに塞がれた口から、声にならない息が漏れた。
床板が、わずかに軋む。
――その音に。
廊下の奥から、すっと一人の影が現れた。
錫杖を携えた僧兵、リー・シガー。
歩みは静かだったが、視線は鋭い。
「……血迷ったか」
低く、静かな声。
感情は抑えられているが、空気が一段、張り詰めた。
影の中の人物が、ゆっくりと振り向く。
「へぇ〜……」
軽い調子の声。
そこで、リーは確信した。
「……リコ殿……!!」
名を呼ばれた瞬間、
相手は隠すことをやめた。
「やっぱ君は鋭いなー。正直、誰にも気付かれないと思ってた」
肩をすくめるような仕草。
だが次の瞬間、動きは一変する。
リコの手に、いつの間にか細身のナイフが現れ、
それが――ニーナの首元に添えられた。
刃は触れていない。
だが、一歩でも間違えれば致命傷になる距離。
「おっと。大きい声は出すなよ? リー」
軽口とは裏腹に、目は笑っていない。
リーは一歩、踏み出しかけて――止まった。
(距離……三歩。踏み込めば間に合わぬ)
僧兵として、戦士として。
そして何より、仲間を守る者として、最善手を選ぶ。
「……僅かだが、異音を感じ取ったのみだ」
静かに言葉を紡ぎながら、
わずかに体の向きを変える。
これは攻撃の構えではない――時間を稼ぐための立ち位置。
「だが、その手際……偶然ではあるまい。
ニルヴァーナと六道の件も……やはり、貴殿か」
一瞬、リコの目が細まった。
「さすがだね。推理も早い」
ナイフが、ほんの僅かにニーナの肌に触れる。
「でもさ……君、分かってるでしょ?
今ここで動いたら、この人がどうなるか」
リーは歯を食いしばる。
(焦るな……今は……)
わざと、視線を外し、廊下の奥を一瞥する。
ノーザ達の部屋は、そう遠くない。
「……その程度の脅しで、貴殿は満足か?」
あえて、挑発とも取れる言い回しを選ぶ。
「仲間を人質に取ってまで、何を得る?」
リコは肩を竦め、楽しげに笑った。
「やだなぁ、そんな怖い言い方。
これは“交渉”だよ。君が大人しくしてくれれば――誰も傷つかない」
リーは、わずかに息を整える。
(……ノーザ殿……気付いてくれ……)
錫杖を床に突き、わざと微かな音を立てた。
それは、祈りのようであり、
同時に――合図だった。
廊下の空気が、張り詰める。
そしてこの瞬間、
裏切りは、完全に姿を現した。
薄暗い廊下。
灯りは最低限、影が濃く伸びる。
張り詰めた空気の中――
風を切る音すら立てずに、影が動いた。
天井近く、梁の影から。
羽ばたきはない。
音も、気配も、ほとんど感じさせずに。
ミネルが――滑り落ちるように飛び出した。
その狙いは明確。
ナイフを握る手首、ただそれだけ。
(今――!)
しかし。
「……無駄だよ」
振り向きもしない。
視線すら動かさない。
それなのに――
拳が、後ろへ突き出された。
正確。
速すぎて、風切り音すら置き去りにする一撃。
鈍い衝撃音。
ミネルの身体が、空中で弾かれた。
壁に叩きつけられる寸前で、床を転がる。
「ミネル殿!!」
リーが叫ぶ。
だが、その一瞬で――
“違和感”が、確信へと変わった。
(……違う……)
今まで見てきたリコではない。
力任せでも、慌てた動きでもない。
訓練された者の体捌き。
戦場を知る者の反応速度。
倒れたミネルは息を詰まらせながらも、必死に身体を起こそうとする。
「……っ、平気……油断しただけ……」
だが、その声は強がりだった。
翼が、わずかに震えている。
「だから言ったでしょ」
淡々とした声。
感情の起伏が、まるでない。
「君は索敵と伝令向きだ。
奇襲も悪くない……でもね」
ナイフが、再びニーナの喉元に寄せられる。
「“戦う側”じゃない」
リーの喉が、わずかに鳴った。
(……この男……)
錫杖を握る手に、力が籠もる。
だが、踏み出せない。
人質がいる。
それだけで、選択肢は削られる。
倒れたミネルが、悔しそうに歯を食いしばる。
(……ごめん……ノーザ……)
廊下の奥。
まだ、誰も来ない。
だが――
この静寂は、もう限界だった。
裏切り者は、もう隠す気がない。
そして次の瞬間、
この場に“本当の戦闘”が流れ込む――
そんな予感だけが、重く漂っていた。
――ドンッ!!
鈍く、重たい衝撃音。
それは廊下だけで収まらなかった。
木造の宿全体が、微かに軋む。
早朝の静けさを、明確に破壊する音だった。
「……今の音!?」
階上の扉が一斉に開く。
足音。息を呑む気配。
ノーザは反射的に部屋を飛び出していた。
裸足のまま、剣帯も無い。
廊下の先――
最初に目に飛び込んできたのは、倒れ伏すミネル。
「ミネル!!」
次の瞬間、視界が“理解”に追いつく。
ニーナの喉元に、刃。
背後から押さえ込む腕。
そして――見覚えのある横顔。
「……リコ?」
ノーザの声は、低く掠れた。
ヴィヴィが遅れて飛び出す。
状況を一目で飲み込み、息を呑んだ。
「……は?」
サンも到着する。
「おい……冗談やろ……?」
リーは一歩、前に出かけて止まった。
錫杖を構えるが、踏み込めない。
その一瞬を――
リコは、逃さなかった。
「動くな」
声は静か。
だが、完全に主導権を握った者の声だった。
刃が、ほんの少しだけ食い込む。
ニーナの喉に、赤い線が浮かぶ。
「……っ」
ノーザの視界が、狭くなる。
「リコ……何をしてる……?」
問いかける声は、震えていなかった。
リコは一度だけ、ノーザを見る。
その視線は、もう“仲間”を見るものではない。
「悪いね。説明してる時間は無い」
次の瞬間――
煙玉が床に叩きつけられた。
白煙が爆ぜる。
咳き込む音。視界が奪われる。
「クソッ!!」
ヴィヴィが突っ込もうとするが、遅い。
煙の中、足音が遠ざかる。
窓が割れる音。
リーが叫ぶ。
「外だ!!」
全員が駆け出した時には――
すでに遅かった。
宿の外。
夜明け直前の村。
静寂は、完全に破壊されていた。
「きゃあああ!!」 「何だ!?何が起きた!?」 「刃物だ!!人質だ!!」
村人たちが家から飛び出す。
混乱、悲鳴、怒号。
その中心を――
リコはニーナを盾に、迷いなく走っていた。
「離して……!」
ニーナが必死に抵抗するが、拘束は完璧だった。
「無理だよ。今の君じゃ」
冷たい声。
ノーザが追いかける。
息を切らしながら、叫ぶ。
「リコ!!止まれ!!」
振り返らない。
リコはただ――
人混みへと溶け込むように、村の外へ向かっていく。
「ノーザ!!」
ヴィヴィの声が飛ぶ。
サンが歯を食いしばる。
「……クソ……最悪や……!」
リーは、倒れたミネルを一瞬だけ振り返り、
そしてノーザを見る。
「……追ってくれ、ノーザ殿」
短く、重い一言。
夜明けの空が、白み始めていた。
仲間は引き裂かれた。
裏切りは、もう隠されていない。
そして――
村の中央。
夜明けの薄光が、石畳を白く染め始めていた。
人だかりの輪、その中心に――
刃を喉元に突きつけられたままのニーナが立っている。
肩で息をするノーザが、輪の内側へ踏み出した。
「ニーナ!!」
呼ばれたニーナは、苦しげに目を開け、
それでも必死に声を絞り出す。
「……ノーザ様……」
無事だ。
意識もある。
その事実に、胸が一瞬だけ軽くなる。
――だが、すぐに現実が叩きつけられた。
ヴィヴィが一歩前に出る。
怒りを隠そうともせず、睨み据える。
「リコ……!
これは……なんのつもりだい!?」
その問いに、
リコは肩をすくめ、まるで茶番を見る観客のように笑った。
「いや〜……困ったよ本当に」
軽い。
あまりにも軽い口調。
「ちょっとね。ニーナに“僕の計画”を知られちゃってさ」
その言葉に、空気が一段冷える。
サンが低く唸るように言葉を吐く。
「……計画やて……?」
その視線の先で、
リコはニーナを盾にしたまま、堂々と語り始めた。
「順番に話そうか。混乱するだろうし」
村人たちのざわめきすら、
次第に遠のいていく。
「まず――
僕が“スキルの整備士”だって話」
そこで、リコは小さく笑った。
「……あれ、嘘だよ」
一瞬、誰も反応できなかった。
「僕はね、スキルを“整える”側じゃない。
奪う側だ」
その瞬間、
ニーナの指先が微かに震えた。
「正式にはこう呼ばれてる」
リコの目が、はっきりとした光を帯びる。
「スキルポーチャー」
言い切りだった。
誇りですらあるような声音。
「レアスキルを見抜いて、
持ち主が油断した瞬間に“剥がす”。
そして――売る」
その場にいる全員の背筋に、
ぞっとするものが走る。
「知ってる?
勇者系スキル、固有スキル、進化途中の変異スキル……」
楽しげに、数を挙げる。
「闇市場じゃ、とんでもない値がつくんだ」
ノーザの拳が、ぎしりと鳴った。
「……それで……俺たちに近づいたのか……」
問いではなかった。
確認だった。
リコはあっさり頷く。
「そう。最初から」
その視線が、ノーザに向く。
「君は最高だったよ。
複数の剣技系統、二刀流、固有剣……
“商品価値”としては、歴代でも上位だ」
その言葉が、
完全に一線を越えた。
ヴィヴィが歯を剥き、叫ぶ。
「……ふざけるな!!
仲間を……物みたいに……!!」
だが、リコは気にも留めない。
「勘違いしないで」
淡々と、事実を述べるように。
「仲間だなんて、最初から思ってない」
ニーナの首に、刃がわずかに食い込む。
「君たちは――
“使えるスキルの集合体”だっただけだ」
沈黙。
その中心で、
ノーザが一歩、前に出た。
声は低く、しかし燃えていた。
「……リコ」
呼び捨てだった。
「俺の剣を狙った理由は……
それだけか?」
その問いに、
リコは一瞬だけ――微妙な間を置いた。
そして、薄く笑う。
「さあ……それは“次の話”かな」
逃げ道を残す言い方。
刃は、まだニーナの喉元にある。
夜明けの光が強くなり、
すべてを白日の下に晒していく。
――ここからは、
もう“誤解”では済まない。
裏切りは明確に言葉となり、
選択の時間は、刻一刻と迫っていた。
リコは肩をすくめる。
「そうそう……ついでだから“答え合わせ”もしとこうか」
その声は軽い。
あまりにも軽く、あまりにも愉快そうだった。
「覚えてる?
僕らが最初に出会った時――」
リコの視線が、ノーザをまっすぐ射抜く。
「君が倒してくれた、あのギャング」
ノーザの眉がわずかに動く。
「……あの時の……」
思い出す。
路地裏で絡まれていたリコ。
助けを求める声。
剣を抜いた、あの瞬間。
リコは、楽しそうに続けた。
「いや〜、本当に助かったよ」
心底感謝しているかのような口調で
「あれさ、ただのチンピラじゃない。
たちの悪いスキルブローカーだったんだ」
ざわ、と空気が揺れる。
「裏の市場に横流しするくせに、
足元見て値を吊り上げるし、
こっちの取り分まで誤魔化す最低の男でさ」
ノーザの喉が鳴った。
「……じゃあ……あの時……」
「うん」
即答だった。
「君が倒してくれなかったら、
僕が始末する予定だった」
何でもないことのように言う。
「でもさぁ」
リコは、そこで声を弾ませる。
「まさか、あんな掘り出し物が向こうから来るとは思わなかった」
ノーザを、値踏みする目。
「勇者タイプ。
複数の剣系統。
成長速度、異常。
それでいて――」
にやり、と笑う。
「お人好し」
その言葉が、鋭く突き刺さる。
「いやぁ……スキルと金の匂いがしたねぇ〜」
ヴィヴィが歯を食いしばる。
「……あんた……」
サンの拳が震える。
「最初から……全部……」
悪びれもせず、リコは頷いた。
「助けられたフリをして、
信頼されて、
仲間に入って――」
ナイフが、ニーナの喉元でわずかに揺れる。
「じっくり“育つ”のを待つ」
その一言で、
ノーザの中の何かが、はっきりと音を立てた。
「……じゃあ……」
ノーザの声は低い。
怒りを押し殺した、獣の声だった。
「ミネルを助けたのも……
俺たちと一緒に笑ってたのも……
全部……」
リコは、首を傾げる。
「んー……そこは半分正解、半分ハズレ」
曖昧な答え。
「効率的だったからね。
情に厚い君たちは、
弱い者を守ると、より“縛られる”」
その視線が、ミネルに一瞬向く。
「ミネル、いい仕事したよ。
警戒心を下げるには最高だった」
ミネルの羽が、びくりと震えた。
リーが低く呟く。
「……すべて……計算か……」
「もちろん」
即答。
「命も、信頼も、感情も」
リコは笑う。
「全部、数字にできる」
沈黙。
その中心で、
ノーザは剣を失った手を、ゆっくりと握り締めていた。
――ここまで来て、もう戻れない。
これは誤解じゃない。
事故でもない。
選んで、裏切った男が、ここにいる。
リコは肩をすくめ、ため息混じりに続けた。
「そうそう、ラークナイツとの戦いもさ……」
軽く思い出すように、首を傾ける。
「僕がバカにされたから?
異種族を連れてるのが気に入らなかったから?
仲間の名誉の為に戦う?」
乾いた笑い。
「いや〜……滑稽だったよ」
ノーザの目が、静かに細くなる。
「だってさ」
リコはニーナを盾にしたまま、わざと一歩踏み出す。
「僕は仲間だなんて思ってなかった」
はっきりと、言い切った。
「利害が一致してる間だけ、同じ場所にいただけ。
役に立つスキルを持ってる人間の集まり。
それ以上でも以下でもない」
ヴィヴィが低く唸る。
「……あーし達が、どんな気持ちで戦ったか……」
「知ってるよ?」
即答だった。
「必死でしょ?
命張って、誇りだの信頼だの叫んでさ」
口元が歪む。
「だから利用しやすい」
その一言が、完全に火を点けた。
「君たちは“絆”って言葉に縛られてる。
仲間を守るためなら、
無茶も、無理も、自己犠牲もする」
リコはノーザを見る。
「特に君だよ、ノーザ」
静かな声。
「君は、仲間を守るためなら自分を削る。
だからこそ、最高の商品だった」
リーの錫杖が、きし、と音を立てる。
「……冒涜も、ここまで来ると……」
「冒涜?」
リコは小さく笑った。
「違うよ。現実的なだけさ」
「感情は高く売れない。
信頼は重いだけ。
仲間意識なんて、足枷でしかない」
その中心で、ノーザは静かに言った。
「……それが、お前の答えか」
リコは、楽しそうに頷く。
「うん。
だから――」
リーが一歩、前に出た。
錫杖を床に突き、低い声で問いただす。
「ならば……答えよ。
貴様が昨日、ノーザ殿の剣を隠した意図は何だ?
貴様の目当てはスキル……武器を盗む必要は無いはずだ」
空気が張り詰める。
リコは一瞬だけ、考える素振りを見せてから、あっさりと言った。
「あー、それね」
軽い調子だった。
「先に答えを言うならさ……ノーザを消す為だよ」
その場の空気が、凍りつく。
「剣無しでさ、あわよくば野盗に倒されて
くれないかな〜、なんて」
肩をすくめる。
「勇者タイプが事故死。
よくある話でしょ?」
リーの拳が震える。
「……貴様……!」
ニーナは、唇を噛みしめながら、震える声で問いかけた。
「でも……どうして……
あのタイミングでノーザ様を亡きものにする意味が……」
リコは、ほんの一瞬だけ、言葉に詰まった。
そして――
次の瞬間、表情が崩れた。
「……あー……」
自嘲するように、笑う。
「それはさ……僕の方の抜けてた所かな」
ナイフを握る手が、わずかに強くなる。
「実はね……
今はもう、スキルなんてどうでもよくなっちゃったんだ」
ノーザの目が、見開かれる。
「……何だと?」
リコは、ニーナを見た。
いや――
見つめた。
「僕はねぇ……」
声が、熱を帯びる。
「ニーナ」
一度、呼ぶ。
「ニーナ!!」
もう一度、叫ぶ。
「君が好きになっちゃったんだよ」
その言葉に、世界が歪んだ。
「優しくてさ……
賢くて……
いつもノーザの隣にいて……」
笑顔が、完全に壊れる。
「だから邪魔なんだよ」
低く、吐き捨てる。
「ノーザが」
ニーナの肩が、びくりと跳ねる。
「君がノーザを見てる限り、
僕は“ただの仲間”で終わる」
刃が、喉元に食い込む寸前
「だったらさ……
消せばいい」
狂気に満ちた瞳で、リコは言い切った。
「英雄も、剣も、絆も」
そして、歪んだ笑み。
「そうすれば――
君は僕の方を見る」
沈黙。
その中で、ノーザが一歩、前に出た。
静かに。
だが――
二度と戻れない声で。
薄く笑いながら、リコが視線を横に流した。
その先にいたのは弓を構えていたはずのサンだった。
「ところでさ……君、射れる?」
その瞬間。
サンの指が、弓弦を引けなかった。
「……なんや……?
引けん……狙えん……!?」
困惑が、顔に張り付く。
リコは肩をすくめた。
「君の弓と“目”のスキル、抜き取らせてもらったよ。
遠距離補正、動体視力、風読み――便利だった」
空気がざわつく。
「そして……」
地面に手を伸ばす。
次の瞬間、市場の屋台が持ち上がった。
木材が軋み、金属が鳴る。
「……これもだ」
信じられない光景だった。
巨大な屋台が、人一人分の軽さで振り回される。
「なっ……!?」
驚愕の声が漏れる。
その瞬間、ヴィヴィが理解した。
「……あーしの……?」
リコは、はっきりと頷いた。
「怪力スキル。
君のは質が良かった。短時間なら、十分使える」
そして――
屋台を投げた。
轟音。
石畳が砕け、破片が飛び散る。
間一髪で跳び退くノーザ。
背中に冷たい汗が流れる。
(速い……重い……!)
ただの力じゃない。
扱い慣れている。
リーが錫杖を構え、一歩前に出る。
「……スキルを奪うだけではない
奪った力を“使いこなしている”……!」
リコは楽しそうに笑った。
「当然でしょ?
僕は“盗む”だけの素人じゃない」
指を鳴らす。
「スキルは“組み合わせ”だ」
一歩、前へ。
「怪力 身体強化 重心制御」
足元の石が、沈んだ。
「君達が何年もかけて積み上げた物を
僕は“最適化”して使う」
ニーナの喉元に刃を当てたまま、視線だけをノーザに向ける。
「ほら……どうする?」
静かに、嘲る。
「剣はある
仲間はいる
でも――」
一拍。
「戦えない理由がある」
刃が、わずかに食い込む。
「来れる?」
その問いに、
ノーザの中で――何かが、完全に切れた。
ノーザは六道を抜いた。
鞘が地面に触れる音が、異様に大きく響く。
一歩、前へ。
歩みは遅い。
だが、迷いは一切なかった。
「あ?」
リコが鼻で笑う。
「吹っ切れた?
でも無駄だよ。六道斬りは使えない」
返事はない。
「それにさ……」
リコはもう一つ、愉しそうに続けた。
「ニーナとヴィヴィが必死に外そうとしてた
“心頭滅却”――」
掌を開く。
そこに浮かんでいたのは、淡い光を放つオーブ。
ノーザの固有スキル。
「調べたよ。これ、煩悩を抑えるだけじゃない
苦痛にも強くなるんだね?」
一歩、踏み出しながら。
「なるほど……
君がこのスキルに拘ってた理由、よーく分かった」
次の瞬間。
握り潰した。
光が砕け、霧散する。
「こんな心身で強くなるスキル、勿体ないけどさ」
欠片が消える。
「これで君は――
痛みに耐えられなくなった」
ニーナの喉が震えた。
「……ノーザ様……!
来ないで……!」
その声が届いた瞬間――
ノーザは、止まらなかった。
ただ一言、低く。
「……そうか」
声に怒鳴りはない。
感情の起伏すらない。
だが――
空気が、変わった。
(来る)
誰よりも早く、それを察したのはリーだった。
(これは……怒りではない
決断だ)
ノーザは六道を構え直す。
心頭滅却は、もう無い。
痛みは、戻っている。
それでも。
一歩。
また一歩。
「……やっとだ」
リコの笑みが、わずかに歪む。
「やっと“人間”になったね、ノーザ」
その言葉に――
ノーザは、初めて目を向けた。
視線が、合う。
そこにあったのは、怒りでも憎しみでもない。
完全な拒絶。
「お前は……」
低く、静かに。
「俺の仲間を
俺の旅を
俺の覚悟を――」
六道の切っ先が、地面を削る。
「踏み荒らした」
次の瞬間。
ノーザの足が――地を蹴った。
リコは、躊躇なく攻撃を重ねた。
ナイフ、掌打、蹴り。
抜き取ったスキルを惜しげもなく叩き込み、確実に人を殺しに行く動き。
骨に響く音。
肉が裂ける感触。
それでも――
ノーザは、止まらない。
一歩。
また一歩。
血が地面に落ちる。
「……」
リコの声が、わずかに裏返った。
「なんで倒れないの……?
軽症じゃ済まない程度には、ちゃんと入れてるんだけど?」
返事はない。
距離が、詰まる。
「おい……!」
苛立ちが混じる。
「なんでだよ!?
痛みを我慢できるスキルは壊しただろ!?」
その瞬間。
少し離れた位置で、サンが低く息を吐いた。
「……まだ分からんのか?」
静かだったが、はっきりとした声。
「お前はホンマに
戦いの才能も無いモヤシ野郎やで……」
リコが、そちらを振り向く。
「兄弟はな……」
サンは視線を逸らさず、続けた。
「その程度の痛み、
スキル無しでも痛くも痒くも無いわ」
リコの表情が、初めて崩れた。
「……は?」
その横で、リーが一歩前に出る。
錫杖を静かに地面に突き。
「ノーザ殿は、
心頭滅却を“強くなる為”に身に着けたのではない」
淡々と、しかし断言する。
「自らを律し、
力に溺れぬ為にこそ、選んだのだ」
リコの瞳が揺れる。
「……なん、だって……?」
その問いに、答えたのは――
ノーザだった。
ようやく、口を開く。
「……痛みを消す為じゃない」
一歩、踏み込む。
「感情に、任せない為だ」
六道の切っ先が、ついに間合いに入った。
リコは、初めて後退る。
(おかしい……
計算が……)
ノーザは、止まらない。
これは耐えているのではない。
受け入れて、前に進んでいる。
リコの顔に、はっきりと浮かんだ。
――恐怖。
追い詰められたリコは、一歩、また一歩と後ずさる。
視線が泳ぎ、呼吸が乱れる。
そして――
最悪の選択に手を伸ばした。
「動くな!!!」
リコはニーナを強引に引き寄せ、刃を喉元に突きつける。
盾。
交渉材料。
いつも通りの、安全圏の取り方。
ニーナの身体が強張る。
ノーザの足が、止まる。
一瞬、空気が凍りついた。
――だが。
その静止を、破った者がいた。
「……っ!」
短い詠唱。
躊躇はない。
炎魔法 ファイア。
小さな火球。
威力は低い。
だが――十分だった。
火球は一直線に飛び、リコの脇腹に命中する。
「ぐっ!?」
衝撃と熱。
反射的に力が緩む。
その一瞬を、ニーナは逃さなかった。
身を捻り、拘束から抜け出す。
「な……!?
なんでお前が……!?」
叫ぶリコの視線の先。
そこにいたのは、拳を下ろしたヴィヴィだった。
肩で息をしながら、歯を食いしばっている。
「……あーしのMPは、たった4だ」
自嘲気味に、しかし誇りを込めて言い放つ。
「魔法なんて……
一発撃ったら、ガス欠だよ……!」
事実。
初級魔法。
威力も低い。
――だからこそ、完全に計算外。
リコは、理解できないという顔をする。
(魔法は撃てないはずだ)
(MPが足りないはずだ)
(安全な距離のはずだ)
そのすべてが、崩れた。
ヴィヴィは、もう一歩も動けない。
魔力は空。
だが――それで十分だった。
ニーナはノーザの背後へ転がり込み、
無事に保護される。
そして。
その瞬間。
ノーザが、動いた。
空気が、変わった。
それは怒号でも咆哮でもない。
静かで、決定的な変化だった。
ノーザは一歩で距離を詰めた。
次の瞬間、左手が伸びる。
指が、喉を掴む。
逃げ場は無い。
骨が軋み、呼吸が詰まる。
「――返せ」
低く、抑えた声。
だがそこに迷いは無かった。
ノーザの左手から、光が逆流する。
奪われていた力が、強引に引き剥がされるように戻ってくる。
スキルが、還る。
刀スキル Lv5 復帰。
六道斬り 再起動。
リコの瞳が、理解に追いつかない恐怖で見開かれる。
「な……に……それ……」
ノーザは答えない。
――踏み込んだ。
地を蹴り、跳んだ。
それは回避でも接近でもない。
処刑のための跳躍。
六道を構える。
ノーザが選んだのは、
六道斬りの中でも最も忌避される型。
人に向けて放つことを、想定していない一撃。
六道斬り 六ノ型
地獄道 聖観音 地獄八景 阿鼻落とし
最初の一閃。
落下の全体重と回転を乗せた斬撃が、リコの身体を切り裂く。
衝撃で地面に叩き落とされる、その刹那――
踏む。
ノーザは相手の身体を踏み台にし、再び跳ぶ。
二度目。
三度目。
四度目。
斬る。
踏む。
跳ぶ。
それは連撃ではない。
落下刑だ。
空から地へ。
地から再び空へ。
見ている者には、数えられなかった。
ただ――
何度も、何度も、更に下層の地獄へ落ちるように見えた。
七度目。
八度目。
最後の斬撃は、振り下ろされなかった。
叩き落とした。
地面が砕け、衝撃波が走る。
砂塵が舞い、音が消える。
――静寂。
ノーザは着地し、六道を下ろした。
荒い呼吸。
だが、視線は冷たい。
それは怒りではない。
これは――
断罪だ。
誰も、声を出せなかった。
無論。
人間相手に使う技ではない。
だが、ノーザは使った。
この旅で初めて。
魔王でも、魔族でもなく。
――仲間を踏みにじった者に。
八撃目。
最後の落下とともに、世界が沈黙した。
ノーザは、動かなかった。
六道を握ったまま、
その場に立ち尽くし――
次の瞬間。
膝が、崩れた。
音もなく、力が抜けるように。
剣が地面に触れ、乾いた音を立てる。
終わったのだ。
敵は倒れ、脅威は消えた。
だが――
ノーザン・クレインの中で、
何かが壊れた。
俯いたまま、動かない。
肩が、小さく震える。
そして――
顔を上げた。
空を見た。
夜明け前の、薄い空。
まだ何も知らない世界に向かって。
ノーザの喉が、裂ける。
「ゔわ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」
叫びだった。
怒りでも、悲しみでも、憎しみでもない。
全部だ。
勇者でもない。
王でもない。
仲間思いのリーダーでもない。
ただ――
人を斬った男の、嗚咽だった。
誰も、近づけなかった。
ニーナは唇を噛み、
ヴィヴィは拳を握り締め、
サンは歯を食いしばり、
リーは目を伏せ、
ミネルは羽を震わせた。
裏切りがでるのは初期から決めてはいました。




