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過去へ続く夢:唯一の十字架②

「洗脳薬を食事に入れられてる」


 そう言われたのは、赤子が正しい成長で言うならば8ヶ月目にさしかかった辺りだった。


「……嘘でしょ?」


 いつものようにドリンクバーへ向かった後、唯架は金子という女性に呼び出された。明日の始業前、お手洗いで待っている、と。不思議な申し出だった。仕事のことならば、いつでも言えばいいのに。誘い方も奇妙なもので、耳元で急に囁かれた。誰かに相談しようかとも思ったが、誰もがそれぞれの業務に忙しい。結果、誰に言うこともなく指定された時間に向かった……のだが。


「一体何を言っているの? 食事はおいしいのに、薬なんて入ってるはずが……」


 金子は赤と青の薬を取り出した。


「飲んで。飲めば、真実が分かる」


「真実なんて……」


「急いで、見張りが来る。それに、これ以上操られる貴方を見てられない」


 心の奥が微かに騒ぐ。いつものお茶はない。ざわめきは徐々に大きくなってくる。


「これも……ファティア様のため、なのよね?」


 金子は答えなかった。


 甘いお茶の香りを思い出す。きっとこの沈黙は肯定なのだろう。えい、とばかりに薬を飲む。水なしで良かったのだろうか、と思う間もなく。


「……!」


 思い出してしまった。


「大丈夫。ショックを和らげる成分が入ってるから。植物由来の」


 心臓はばくばく鳴り響いているが、確かに叫び出しそうな感情はない。身体は震えているが、思ったよりも冷静にことを受け入れている。


「あの……子供が……」


「そう。……私には協力者が必要だった。成長しきる前に、なんとかして栄養剤を止めれば……」


 金子の声が小さくなっていく。


「だめ、あの子は……!」


 思わず否定の言葉を口にしていた。


(これも洗脳かしら……)


 それにしては、心が痛む。


「……実は、僕もそう思ってた。成長過程はふつうじゃないけれど、まだ教育までは至ってない。まだ、あの子はふつうの子と同じ、赤ん坊なんだ」


「少し、考えさせて……まだ、時間はあるでしょう」


 金子は頷いた。




 唯架は赤子を日々見ていた。


 勝手に細胞を使われたとはいえ、ディールの言う通り、唯架の子……。


 破壊者のクローン。恐るべき存在であるはずだが、唯架はそうは思えなかった。学んだように、純粋に成長し、生まれる時を待ち望んでいる。成長促進剤を入れられているが、成長は何も変わらない。どうしても、邪悪な存在とは思えなかった。


 いつしか考えていた。


 生まれてすぐにこの組織と切り離せば、この子はふつうに生きられるのではないか。


 金子の言う通り、ただの赤ん坊だ。まだ、まだ何の罪もない。敵組織でありながら、唯架と同じく赤子の未来を憂いている兼後という研究者から。彼女は後々、粗大品が廃棄されることを知らせた。


「ちょうどその次の日が、この子が出荷……試験管の外に出る日。前日なら、まだ無事に外に連れ出すことが出来る」


 しかし、と金子は眉を寄せた。


「スペースは少ない。子供だけならともかく、君は……」


 黙り込んだ金子に、何も言えなかった。


 けれど。この子さえ助かるのならば。……試験管の中に眠る子を思う。


「……お願い、金子さん。私のことは、気にしないで」


「唯架さん……あなたも出ることが出来れば……ただ連れて来られただけなのに」


「……それは言わないで。今は、この子の未来だけを考えましょ」


 金子は小さく微笑んだ。


「この子の名前はどうする?」


 沈んだ雰囲気を打ち消すように、金子が明るく聞いた。


「唯架さんの子なんだから、あなたが名付けて」


 名前、と言われてはっとする。脱出させることを考えすぎて、そこまで頭が回らなかった。少し恥ずかしくなる。この子の未来のためなのに、一番大事なのは名前なのに。


「やっぱり、明るくて強い名前がいいわ。ほむら……は、女の子の名前かしら。灯、火……火を自ら動かしていく男の子。そうね、火動。この子の名前は火動」


「良い名前だね。強そうだしカッコいい! 僕もそんな名前欲しかったなー」


 そう言って、金子は微笑んだ。

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