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5話 供台

 ――語られることなき「律」が、世界に影を落とした。

 火を喰らい、水に眠り、魂の底に触れた者たち。彼らは、世界の歪みを五つの域に分けた。


 構律こうりつ――理を構築し、世界の「形」を支配する。

 感域かんいき――五感を超えた知覚と因果に感応する。

 鎖環さかん――因果をつなぎ、因をもって果を制する。

 輪廻りんね――命と死を編み直し、時間の流れに干渉する。

 響霊きょうれい――声なき声を聴き、死者と語る。


 世界の理を越える五つの干渉法を、人は式律しきりつと呼ぶ。


 その理を極めた者がさらにいる。彼らは地図にない場、供台くたい――式士のみが到達できる中立地――に集い、世界の綻びを測る。


 供台は石を積んだ半円の壇。地は刻文に覆われ、天井はない。空は灰の濃淡だけを湛える。ここでは時間が流れない――その濃淡すら、座す者の意思に左右されると言われる。


 その日、円卓に上がったのは一つの“異物”。


 五つの座。背後にはそれぞれ構律・感域・鎖環・輪廻・響霊の紋が瞬く。すべての座が埋まる。

 ただ一人、壇の縁に「座を持たぬ」男が立つ。刻文の上で杖の石突が一度だけ鳴り、音はすぐに吸い込まれた。


「……まさかまだ、生きておったとは」


 輪廻の継承者が、皺の深い手を膝に置いたまま呟く。声は低く、語尾だけが刃物のように短い。

「あの方が子を連れて山に籠もって十年。冬のうちに果てたと聞いていたが」


「報せも上がらなんだ。足跡も記録も残らず、行方知れず――そう思うのも仕方がない」


 感域の継承者が目尻を細め、瞼を一度だけ押さえる。視線は誰にも定まらない。


「十年も、よう隠し通したものですね」


 構律の継承者は袖口を一度しごき、言葉の前後で呼吸を整えた。間は短く、無駄がない。


「まあ葬りも墓も見なかった。誰も見届けとらん。……つまり、あの方が徹底して隠したというだけの話じゃろう」


 鎖環の継承者が喉の奥で乾いた咳をひとつ。指は帯の結び目を確かめるように動く。


「生きていた。それだけの話だ」


 響霊の継承者が椅子の背を軽く叩く。石の音が、場の中心を一拍だけ硬くした。


 話が一段落し、視線が壇の縁の男へ集まる。空気は低く締まり、言葉だけが事務のように置かれる。


「結論を急ぎたい。其方の保護対象について、我々は今一度、その価値を検討せねばならない」


 輪廻の継承者は皺だらけの手をひとつ上げ、発言する。声量は小さいが、反論の余地を与えない。


「神獣に喰われて、生きた。式律の確立以後、確認されていない特異例だ。我々としては是非、再現を行いたい。場合によっては人類の宝になる可能性だってある」


「もし再び神獣に喰われ、それでも生きるなら――この長い戦いに終止符が打てるかもしれん」


 感域が静かに継ぐ。言葉は記録の読み上げのように平板だ。


「どんな対価を払ってでも得たい宝じゃ」


 鎖環が短く頷く。机の縁に節くれた指が一度だけ触れ、すぐ離れた。


「……つまり、殺してみたいんですね?」


 作られた空気を断ち切るように、壇の下に立つ男――カガチが朗らかに問い返す。笑いは軽く、意味だけが鋭い。


「その通りです」


 応じたのは構律の代表。口元は笑みを湛えながら、眼だけが冷たい。


「命を一つ捧げれば、理が一つ明らむ。犠牲としては、十分に理に適うでしょう」


「なにせ、あの方が唯一、誰にも触れさせなかったガキじゃ……」


 誰かが低く呟く。その一語に、場の温度が半度だけ下がる。

 カガチの薄い瞳が、わずかに動いた。


「……それで、僕の返事が欲しいと?」


「形式上は」


 感域の代表がうなずく。


「生存例の証人が君ひとりである以上、手順は踏まねばならん」


 カガチはポケットに手を突っ込み、ひとつ大きく息を吐く。吐息の長さに合わせ、灰の濃淡がわずかに揺れた。

 ほんの一拍、灰が濃くなった。


「お断りします」


 作り物のような整った笑み。言葉は短く、刃の面だけを見せる。

 沈黙が落ちた。壇上の空気が、音もなく軋む。刻文の線が一筋、微かに明滅して止んだ。


「理由は?」


 また誰かが低く問う。問いは儀礼、答えもまた儀礼であるべき場だと、圧をかける。


「面倒だからです」


 軽い微笑。だが温度はない。


「師匠が守り通したものを、僕が納得していない理由で明け渡すとお思いですか?」


 鋭く軽やかに言い返すと、カガチはくるりと踵を返した。歩き出す背に、誰も声をかけない。

 灰の濃淡が、ほんのわずかに揺らいだ。ここでは「意思」だけが空に映る。


「……殺してしまうか?」


 響霊の老爺が、乾いた声で言う。提案は事務的で、感情は置かれない。


「骨が折れるぞ」


 鎖環の老爺が吐き捨てる。視線は机の角から微動だにしない。


「そやつは、理の表層をすでに捨てておる」


「……あの男は、式律を術とは思っておらん。ことわりの外に立ち、まるでそこにある現象のように扱っておる」


「あのままいけば――いずれ、世界にとっての異物となるやもしれん」


「放っておいても勝手に死ぬだろう」


 誰も、否定しなかった。

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