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9話 反転の梁 後

 喉の奥で、熊に噛まれかけた痕の疼きがぶり返す。視界が狭まり、縁から黒ずむ。

身体が先に結論を出した――殺される、と。


 リツはそのまま意識を手放し、そして戻ってきた。


「くはっ」


 胸の底に溜まっていた空気が剥がれ落ちる。自室の布団。衣服には焦げの匂いが染み、喉には乾いた熱が残る。

思考は鉛のまま、リツは目だけを窓へ滑らせた。外は闇。冬の星が硬く、痛いほど透明だ。


――気を失ったんだな、とうとう。


 反射する自分に、そう語りかける。

布団の皺を指で伸ばしながら、他人事みたいに並べていく。


 気絶したことで、説明は避けられ、追い込みだけが続いた日々が一本の線になった。


――これは不死を測られているんだ。


 喉がきしむ。布団を払って立ち上がり、ふらつきながら階段へ向かう。


逃げなければ、殺される。


 意識より先に身体が動く。靴もろくに履かず、早足で、一段一段階段を下りていく。だが二人も階段を上がってきており、踊り場で、何かを抱えたマコトとアマネに鉢合わせしてしまった。

ここで騒げば余計に危ない――足が勝手に止まる。


「起きてんじゃん」


「あ、リツさん! 起きたんすね!」


「は?」


 三人とも止まる。リツは息を呑むが、マコトは顔色一つ変えずに短く吐き、踵を返して先に外へ降りた。


「リツさん、さっき焼き芋焼いたんすよ。食べましょう」


「いや、ちょっと」


アマネが手を引く。疲労のせいか、その力さえ振り解けず、リツは逃げたいという気持ちを抱えながら、そのまま連れていかれた。


 外の広場。崩れかけた祠の影。火の名残が白い息を揺らし、炭の匂いが夜気に薄く滲む。マコトはしゃがみ込み、皮を裂いた芋を先に食べていた。


 じっと見ていると視線を上げたマコトと目が合った。マコトの口角が意地悪く上がる。


「あげねぇぞこの芋は」


「いらねぇよ」


 反射的に吐き捨てて、リツは少し離れたところの地面に腰を落とす。食欲はない。

殺しに来たやつの飯なんて、喉が拒む。


 だが、ここで帰れば、アマネはきっと心配だと、ついてまわるだろうし、変に角を立たせて、警戒されたくない。


 膝に額を預け、短く息を吐く。


 目を瞑り、やり過ごすために。何も考えないように数を数える。だがここ数日の疲労からだろうか。逆さ吊りの反動で血だけが騒ぎ、考えすぎだと、暇な身体が勝手に決めつけてくる。

 思考は弱い場所へいっているだけだと、脳が勝手に指令を出す。自分の弱さが招く現実逃避だと、どうしてか自分の本能を否定する。


ごちゃごちゃになってしまっている。


 その自覚が、身体の芯を冷やし、リツは身震いする。


「なんだ、リツ。疲れてんのか」


 そんなリツを見かねたマコトは声をかけた。


「なんでもねぇよ」


 リツは顔を伏せたまま、関係ないと突き放す。


「センチメンタルになってんじゃん」


 マコトは芋を食べながら、笑いを噛む。

自分は関係ないという声色。


「まあでも食った方がいいぞ、この芋マジでうめえから」


 そして他人事みたいに話す、察しの悪さ。


「お前、俺が不死身か調べてたんだろ」


 だから無意識に溢れ出た。やってしまったと、思わず顔を上げると、目を丸くしたマコトと目が合う。


「は?」


 マコトの手が一瞬止まる。

目が合い、気まずい空気が流れ、


「なんかようやくわかってきた。お前もカガチも、俺の身体を調べたくて、こんな無茶させてんだろ」


 リツは思わず畳み掛けるように言った。


「はっ、興味ねーよそんなこと」


 だがマコトはリツが何を言っているか瞬時に理解すると、鼻で笑い、なおふざけた調子。


「だってあんな煙吸ったら、普通に人は死ぬだろ」


 恥ずかしさを覚えたリツは顔を背け、欠けた砂利を指で触る。


「いやあれは、焼き芋しようと思ったらお前が真上にいたんだろうが」


「はぁ? バカの燻製だって言ってただろうが」


 あまりの適当さに、思わずいつもの調子で返すと、マコトはリツを指差し、顎をあげ、目を細めた。


「そもそも俺を、あのクソロン毛と一緒にすんじゃねぇ。俺はあそこまで腐ってねえよ。俺のやることなすことには全てに意味がある」


「ロン毛って誰のこと言ってんだよ」


 マコトは熱を持ったまま言い切るが、リツは冷たく返した。


 リツはまた額を膝に埋める。冷静に、のちに逃げるのに、ここで悪目立ちすることはないと、思考がストップをかけた。


 リツは腹の熱を逃すために、深いため息を何度もした。すると足音が砂利を踏み、影がひとつ、足元へ伸びてくるのに気づいた。


 擦り減った下駄の音が近づく。


 すぐにマコトの顔がちらつき、ああ、やばい、また不意をつかれる。

そう思って、顔をあげた。だがマコトはリツの口に割った芋を突っ込むと自慢げに見下ろした。


 口の中の、温度が一気に上がる。

 熱で舌がびりつき、少しだけ頭が戻る。


「なにすんだよ、てかあつっ!」


 マコトは楽しげに手を叩いて笑う。


「食え、これはお前の燻製の残火で焼いた芋だからな。お前も食う資格はある」


 抗う暇もない。熱をやり過ごしながら噛む。すると繊維がほどけ、甘さが舌に沁み、次第に背中へとじんわり抜けていった。


「なんだこれ、うめえ」


 甘さは腹ではなく全身に巡り、張り詰めていた腱が一枚ずつ外れていく気がした。自分でも驚くほど、本能的に食った。


 リツにとって、甘味らしい甘味はほとんど初めてだった。


「単純だなお前」


 笑うマコトと、少しだけ誇らしげに目を細めるアマネ。


「これもどうぞ」


 アマネが新聞紙の包みをリツの脇に置く。軽く警戒心を残しながら、リツはリスのように口に詰め込み、ずっと咀嚼を続けた。



「リツって山で生きてきたんだろ? 山で何食ってんだ?」


 そんな光景に、マコトはリツに聞く。

リツは一瞬身構えるが、気を張るほどでもないと考え、視線を外し、短く返す。


「山菜と肉」


「へぇー」


 拍子抜けする柔らかい相槌に、肩の力がわずかに抜ける。


「爺さんも、おんなじもん食ってたんだろ?」


「……そうだよ」


 無視するか迷い、短く返す。

だがその返答に、マコトの目に、一瞬だけ懐かしさが灯るのをリツは見てしまった。


「お前もクソジジイの弟子なんだろ」


 だから思わず聞いてしまった。


「あぁ、まあ一応は。俺の式律は弱すぎて、本人は弟子だと思いたくないかもしれんが」


 少し驚き、間が空いて、かすれた弱音がでた。これは本音だと、リツにも分かった。


「ジジイってどんな人だったんだ?」


 カガチとは違う答えが聞けるんじゃないかと、質問をマコトにする。

マコトは考えるように遠くを見ると、わずかに表情を和らげた。


「絶対に負けない人だった。どんだけ不利な戦況でも、死に物狂いで勝ち取るすごい爺さんだったよ。あと普通に怖かった」


――この人も、ジジイが好きなんだな。理解と同時に、胸の奥で自責が疼く。


 まだ整理はついていないし、心を許したわけではない。


 だがこいつからもジジイを奪ったんだ――その思いだけが口を塞ぐ。


 リツは遠くの墓石を見ながら、ずっとバラバラだった考えをまとめた。


 自分が死んで生き返ったことで、ジジイが俺を選んだとしたら、試してみたいと思うのは、当たり前かと、冷静に思ってしまった。


 そんな沈黙を読んだマコトが、立ち上がって下卑た笑いを浮かべ、リツを指差す。


「お前それ食ったらさっさ寝ろよ。明日も朝イチで迎えに行ってやるからな」


 紙が焦げる匂い、縄の軋み、頭に溜まった血の脈動。一気に押し寄せる、心臓の奥を素手で押されたような不快感。触れてほしくない箇所を正確に押し込まれ、舌に甘さだけが残る。


 口中の熱を呑み、リツは見上げた。


「いや無理だって、さすがに死ぬって」


「何言ってんだ、お前は死なないだろ?」


 マコトの下衆な笑み。——ああ、そうだ。


リツは納得する。


仮にそうだとしても、そこに憎悪があるかないかは、全然違うだろ。


 リツは頭を支える気力もなくし、項垂れた。


「リツさん、俺に提案があるっす」


 そんなリツを見かねた、アマネが肩を叩く。マコトが角を曲がって消えるのを待ち、声を落とした。


「あ?」


 アマネが小声で作戦を耳打ちする。


「……失敗したら?」


「マコトさん朝弱いから絶対いけるっすよ。ずっと考えてたっす、だから一回だけでいいから、俺を使ってください」


 喉仏がひとつ上下する。警戒心は反射で刃を上げる――が、連日の愚行、進まない時間、垂れる水滴、タバコの煙。五感の残滓が、リツの返事を封じ、リツは押し黙る。


「やりましょう、リツさん」


 無反応なリツにも怯まず差し出された一押しが、胸の底の固い核に触れた。


 リツは黙ってうなずくしかなかった。


 早朝。いつものとおり、マコトが当然の顔で部屋へ入る。前髪を束ね、口に歯ブラシ。布団ごとひょいと持ち上げ――固まった。膨らみは小さく、丸い。アマネが肩まで掛け、〈リツの形〉を作っていた。


「はぁ!? アマネじゃねーか」


「すみません、マコトさん」


 歯ブラシが無音で落ちる。廊下の向こうから、走る気配。角を切る勢いのまま、マコトの背にドロップキックが突き刺さった。


「ぐうぇっ」


 情けない声。床に仰向けのマコトへ、リツが飛び乗る。胸ぐらを掴み、勝ち誇った視線で見下ろした。


「ようやくオッサンの裏をかけた」


「オッサンに初めて捕まんなかったぞ」


 マコトは鼻で笑う。


「なんだ、一回ぐらいで勝った気か?」


 背後の空気が変わり、アマネが慌てて押さえに加わる。二人がかりで圧をかけ、呼吸と重みだけが早朝の廊下にこもった。


「週末のお父さんか俺は」


「言っただろ! アマネ! もっと押さえつけろ!」


 マコトは後頭部で手を組み、わざと体から力を抜く。


「でも考えたなリツ。一人がダメなら二人でか」


「俺じゃねーよ、アマネが考えたんだ。自分からマコトさんの裏をかけるって。朝逃げられさえすれば、きっと許してくれるって」


 マコトは半身を起こしてアマネの顔を覗き、また力を抜いて頭を戻す。目を閉じ、少し考えて――あっさり結論を置く。


「まあ、そうだな。課題を出して解決したってことならいいか。もう少し、かかると思ってたけど、逆さ吊りは終わりで。んじゃ、次の訓練」


「え? 次の訓練」


「ああ、アマネは腕立てな」


 マコトは悠々と二人をどかし、すっと立つ。そしてリツだけを軽く抱え上げた。


「おい、下ろせって自分で歩けるわ」


「まあまあ、ドロップキックのお返しだよ」


「んだよ、それ」


 悔しさで身を捩るが、びくともしない。急所も関節も可動域も、すべて理解している手の扱い。諦めて見上げると、ひとつ欠伸。抜ける息に紛れて、口元の線がわずかに緩んだ。笑ったのかどうか――偶然それが見えた。


「何笑ってんだ、オッサン」


 聞こえないふりで歩を進め、ぼそりとつぶやく。


「友達ができて良かったな」


「おい、なんかムカつくから離せよ!」


 マコトの嘲るような雰囲気に、苛立ちながらも三人はまた祠跡の訓練場へ向かう。朝の冷気が白く裂け、石に残った灰が微かに息を吸った。

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